安浦海兵団跡之碑
先月のことですが、安浦にある"安浦海兵団跡之碑"を訪れました。JR呉線安浦駅近く、安浦町公民館そばにあります。
海兵団とは
海兵団はその主な役割のひとつに志願、あるいは徴兵され採用された新兵が、数ヶ月のあいだ海軍兵としての基礎訓練を行います。もともと各鎮守府に設置されていました。
安浦海兵団
それは呉も同様でした。しかし太平洋戦争へ向かう時局の緊迫化に伴い新兵が急増し、各地で海兵団が増設されます。呉では1940(昭和15)年に大竹に呉海兵団大竹分団(翌年に大竹海兵団として独立)を開設します。大竹海兵団も同様の碑があります。(帝国海軍:大竹海兵団跡之碑)
その後太平洋戦争により新兵はさらに増え、海兵団も増設。1944(昭和19)年にこの安浦海兵団は開設されました。
碑の裏に概要が記されています。ウチのデミオさんも写っています(笑)。
本団は国土防衛のために教育訓練を実施し、兵員の補充にあたった。また、昭和二十年八月六日広島原爆の救難にも出動した。
われわれは、二度と戦争を起こさないことを誓い、確かな平和を創造するため本記念碑を建立す。
平成五年十一月吉日 安浦町
今はこの碑以外に海兵団だったことがわかるような建物などは見つけられませんでしたが、アジア歴史資料センターで確認できる資料によると当時はこんな感じでした。
さすが多くの新兵を収容し教育するところだけあって、とても広くて多くの建物があったようです。
戦後は後の広島大学関係なども移転してくる
戦後の写真が国土地理院のページにありました。
太平洋戦争の終戦後、安浦海兵団跡地には広島県立医学専門学校(のちの広島大学の母体のひとつ。広島大学医学部に)とその附属病院、広島女子高等師範学校(広島大学の母体のひとつ)などが移転してきました。
この写真が撮影された頃は広島県立医学専門学校はもう他の場所へ移転していたのかな?
参考文献など
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08011445200、昭和20年11月20日 引渡目録 安浦海兵団 (①-引渡目録-517)(防衛省防衛研究所) 30ページ目
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
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