輸送艦 ―呉工廠 量産への道―
4月17日、音戸にツツジを観に行った帰りに大和ミュージアムに寄りました。目的は開催されているミニ企画展「輸送艦―呉工廠 量産への道―」を観ることです。
ガダルカナルの戦闘で学ぶ
戦闘に限らず人が活動するにあたっては物資が必要です。必要な物資がない限り期待する結果を出すことは容易ではありません。日本海軍において物資の輸送を担っていたのは一般の商船を徴用した徴用船でした。
しかしガダルカナルの戦闘の輸送業務で多くの駆逐艦、巡洋艦を失った海軍は兵力や物資をより迅速に輸送し展開する重要性に気がつきます。軍令部は昭和18年輸送を専門に行う「輸送艦」の開発を決定し、呉海軍工廠に開発を命じました。それにより開発されたのが"一等輸送艦"と"二等輸送艦"です。
戦況は逼迫しており短期間で量産する必要がありました。そのため、ブロック工法の採用、工程のかかる曲面加工を少なくし直線加工を採用することで建造期間を短くしています。
一等輸送艦
一等輸送艦に求められたのは何よりも"高速"であること。そして"迅速に揚陸ができること"でした。そのため、速力は20ノットで航海することができます。揚陸については下の模型をみるとわかりやすい。
甲板の中心ぐらいから両舷に沿って艦尾まで軌道(スリップウェイ)があります。ここに上陸用船艇(大発)を台車にのせて搭載することで、揚陸時にはこの軌道から人員・物資を載せた状態で大発を発進させることができるようになっていました。
一等輸送艦の第1号艦が完成したのは昭和19年5月であり、敵が制空権・制海権ともに握っている地域にある基地への物資や人員の強行輸送がその任務となります。決して容易な任務ではありませんでしたが、建造の狙い通りに活躍した艦も少なくありませんでした。
二等輸送艦
二等輸送艦は物資、人員を直接上陸させること、一等輸送艦では揚陸させることが難しい戦車や重火器などを揚陸させることを目的とした艦です。一等輸送艦は大発などの上陸用船艇を発進させて揚陸させるものでしたが、設計思想が全く異なる艦です。
下の模型、船首部分をみるとその特徴がわかります。
艦首が前に開いているのがわかります。二等輸送艦は自身が海岸に乗り上げ(ビーチングして)、艦首の扉(バウドア・バウランプ)を前に開き、それを陸とをつなぐ橋として戦車を含む車両、物資、人員を直接揚陸させます。そういった意味では、大発をさらに大きくしたようなものといっても差し支えないのかも。
二等輸送艦も多くの輸送任務にあたりました。硫黄島にもアメリカ軍の上陸作戦前に戦車を含む武器や弾薬、糧秣を輸送しています。
太平洋戦争終戦後
終戦時に稼働することができた艦の一部は中国大陸や朝鮮からの引揚輸送を行いました。また、一等輸送艦はその特徴である艦尾への傾斜を利用して捕鯨母船として使われたものもありました。
輸送業務は目立たないものですが、最初にも記したように必要な物資がない限り、何も行うことはできません。主役が活動するためにその影で活躍している存在があるということを忘れないようにしたいものです。
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