日本海軍と航空母艦
2023年大晦日にホームページ更新… “何をしているんだろう?"という感もなきにしもあらずですが、 2023年は護衛艦"かが"が飛行甲板が長方形になり、試験航海をはじめました。そんな2023年締めの更新にぴったりのコンテンツです、きっと(^^(^^;。
航空母艦に着目した日本海軍
大和ミュージアムで7月7日から開催されている第31回企画展が"日本海軍と航空母艦"です。誤解を恐れずに記すと、太平洋戦争で航空母艦(以下空母)をまともに運用できたのはアメリカと日本のみ。そんな日本の空母のはじまりから終わりまでを紹介する企画展です。
個々の艦について記し始めると、終わらないのでそれぞれはカンタンに(^^(^^;。それぞれの艦についてより知りたい方は、もっとちゃんとしたサイトや動画でご確認くださいm(_)m。
日本におけるはじめての空母は1922(大正11)年に竣工した"鳳翔"です。その後、ワシントン海軍軍縮条約の締結により当初の予定から変更されて"赤城"と"加賀"が空母として竣工しました。
“鳳翔"、"赤城"、"加賀"では様々な試みがなされました。私が最も"試み"と感じたのは赤城の三段の飛行甲板。ガミラス帝国の三段空母はここから来たんだなと(違う?)。そんな赤城の三段の飛行甲板は一段になりましたが(^^(^^;。この試みによる運用実績が自艦("鳳翔"、"赤城"、"加賀")への改造だけでなく、以降の日本海軍における空母の運用方法の発展に寄与することになります。
軍縮条約の影響下で設計・建造されたのが"龍驤"、"蒼龍”、"飛龍"です。龍驤は1933(昭和8)年に竣工、蒼龍と飛龍は第二次海軍軍備補充計画(②計画)で建造され、それぞれ1937(昭和12)年、1939(昭和14)年に竣工しました。
日本は1934(昭和9)年に軍縮条約からの脱退を通告します。条約脱退後はじめての軍備計画が第三次海軍軍備補充計画(③計画)です。この計画で"翔鶴"と"瑞鶴"が建造されました。
軍縮条約の制限を受けることなく計画された翔鶴と瑞鶴は基準排水量25,000t超、34ノットの速度で航行できる能力をもった優秀な空母です。機動艦隊の中核として運用され、ともに活躍しました。
日本海軍はこれまで記した空母のほかに、客船を空母に改造することもしました。"優秀船舶建造助成施設"により有事の際に高性能な商船を徴用できるようにし、実際に客船が空母に改造されました。中でも"大型優秀船建造助成施設"で建造された"橿原丸"と"出雲丸"はそれぞれ"隼鷹"と"飛鷹"になり、ミッドウェー海戦で四隻の正規空母を失った機動部隊を支えました。
壊滅した機動部隊
ミッドウェー海戦で四隻の正規空母(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を損失し、機動部隊を再編成する日本海軍でしたが、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦においても空母だけでなく、多くの熟練した搭乗員を失いました。
そしてマリアナ沖海戦では三隻(大鳳、翔鶴、飛鷹)の空母を損失、1944(昭和19)年に発令された捷一号作戦で囮となった機動部隊はエンガノ岬沖海戦で四隻の空母(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)が沈没。これにより日本海軍の機動部隊は壊滅しました。
この企画展、2度出かけた私。ともに平日だったのですが、多くの来場者がいてびっくりしました。こんな時代だからなのでしょうか、平和記念公園の資料館も多くの来訪者がいますし。展示を見て考えることは人それぞれで、何が正しい・正しくないは視点で変わってくるので答えはひとつではありません。より多くの人がいろいろ考えるきっかけとなればいいなと思います。
参考にした文献など
- 呉市海事歴史科学館 第31回企画展 日本海軍と航空母艦 図録
- [ビジュアル詳解]太平洋戦争海戦全史 / 学習研究社
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