広島湾要塞 比治山演習砲台跡
比治山にあった広島湾要塞の演習砲台跡を訪れました。比治山公園に行ったときに参考文献にも記している奥本剛氏の “呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック" に載っていたのを思い出したのです。

広島湾要塞
広島湾要塞(最初は呉要塞と呼ばれていた。1903(明治36)年に広島湾要塞と改称)は呉軍港と広島湾を防備する目的のために設置されたものです。その計画は1872(明治初)年の頃から開始されましたが、実際に工事に着手したのは1897(明治30)年3月の大那沙美島砲台からでした。
その後、砲台および堡塁の建設は続き、1903(明治36)年12月の大空山堡塁の竣工を持って建設工事はすべて完了しました。司令部は1900(明治33)年3月に広島市に設置されています。
しかし日露戦争後に全国の要塞整理の計画がすすみます。広島湾要塞は1913(大正2)年に一部堡塁砲台の廃止が決まり、更に1919(大正8)年には広島湾要塞の廃止が決定。広島湾要塞は1926(大正15)年に廃止されました。
下の写真は広島湾要塞を構成する堡塁のひとつ “三高山堡塁"。2008年に訪れたときのものです。

比治山演習砲台跡
そんな広島湾要塞は比治山に演習砲台を設置しました。

しかしこの場所、砲台があったことを示す案内もありませんし、三高山堡塁跡のような建物はもちろん、砲座跡といったものもありません。何もわからないのでアジア歴史資料センターの資料を探してみました。

1898(明治31)年8月に設置することが決まったようです。そして広島湾要塞の廃止が決まった1919(大正8)年の翌1920(大正9)年に除籍が認可されました。

そんな比治山の演習砲台跡ですが、"当時のものかも" と思えるのがこちらの鎖とか。実際のところはわからないのですけど。
この演習砲台跡は陸軍墓地入口を正面に見たときに左手側に向かった公園の下のほうにあります。比治山公園に行かれたとき思い出したら一度訪れてみてください。
参考文献など
- 呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック / 奥本剛
- 国立国会図書館デジタルコレクション 現代本邦築城史. 第二部 第十九巻 / 陸軍築城部本部 編
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C10061680500、明治31年自7月至12月 官房3号編冊 臨時建築 3冊の3(防衛省防衛研究所)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C03011305300、永存書類乙輯第2類第3冊 大正9年(防衛省防衛研究所)
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