旧帝国海軍:第11海軍航空廠岩国支廠
もう1ヶ月半以上前のことですが、9月7日は岩国の第11海軍航空廠岩国支廠の地下工場跡に出かけました... 前回と同じような書き始めですね(汗)。

第11海軍航空廠岩国支廠の地下工場
最初の写真は南岩国町のとある公園です。ぱっと見、戦争遺構のようなものは何も見当たりませんが、公園に説明板があります。

書かれている説明は以下の内容です。
公園付近の隧道(トンネル)の由来
太平洋戦争の末期に旧海軍により広(呉市広町)の本廠、第11海軍航空廠を岩国など遠隔地へ分散や疎開させる計画が立てられた。これは、空襲を予想し、主に地下に生産拠点を移動させようとするものであった。
この付近の隧道は、空襲を避けるための地下疎開工場で、第11海軍航空廠の航空機生産施設(地下飛行機工場)として昭和20年1月ごろこの地(南岩国町二丁目地内)に築造されたもので、隧道の総延長は、第1区(萩谷住宅地東側)、第2区(緑ヶ丘住宅地北側)及び第3区(山中団地南側)の主抗、横抗を合わせ約2kmにも及び、内部は網目状に連結されている。
第1区が翼工場、第2区が胴体工場で、第3区が部品加工工場となっており、この公園用地には、鉄筋コンクリート製の組立工場があった。
地下飛行機工場では、本土決戦用の局地戦闘機「紫電改」の機体を月産40機生産することが終局目標となっていたが、第1号機を完成する直前に終戦を迎え、その役目を終えた。
現在は非行防止や危険防止のため、大半を埋め戻し、閉鎖している。
(トンネル入口は、私有地内にあり立ち入りできません。)
岩国市
この公園に組立工場があったそうです。そして説明の横に見取図がかかれています。説明にあるように何本もの隧道(トンネル)がつくられていたのがわかります。下に紹介した岩国支廠の引渡目録(Ref.C08011311300)にある、四万田の隧道(一式)と組立工場(759平米)がこの説明にある施設にあたるものと思われます。
また、第11海軍航空廠の引渡目録(Ref.C08011019700)にある第十一海軍航空廠安浦~岩国間施設概要を見ると、新宮・吉浦近辺にもいくつか地下施設があったようです。魚見山隧道が昭和20年に一時期海軍の地下工場として利用されたそうなので、魚見山隧道も第11海軍航空廠の地下施設のひとつだったのかもしれません。
説明の最後にあるように内部に入ることはできませんが、それら隧道の一部について外観は見ることができます。そんな外観を見ることができる隧道のひとつがこちら。第2区のうちのひとつです。

立ち入ることができないように閉じられています。今年8月はじめに内部が報道機関に公開されたようですね。
第2区の別の隧道入口です。

自然に還る途中のようです(^^(^^;。第2区では他に2つそれとわかるものがあったのですが、住民の方が入口前に物置などを設置していました。一方、第1区および第3区では見つけることができませんでした。もっとも、場所は住宅地です。見知らぬ者がウロウロするのも問題なので、あまり探すこともしなかったのですが...
これらの隧道、今後は国によって埋める方針ということのようですが、一部では戦争を伝える遺構のひとつとして保存を望む声もあるようです。保存する・しないという結論はどちらになるとしても、議論をすることはよいことなのではないかと思います。
参考にした書籍など
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08011311300、第11海軍航空廠 岩国支廠 (①-引渡目録-309)(防衛省防衛研究所)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08011019700、第11海軍航空廠 引渡目録 4/4 (防衛省防衛研究所)
- 国土交通省中国地方整備局 広島国道事務所 広報誌「くれこく」(第19号)
このページの公開日:2014.10.24