旧帝国海軍:巡洋艦「青葉」終焉之地碑
6月1日に巡洋艦「青葉」の終焉之地碑(記念碑)へ。先月12日に中国新聞でこの碑のことを知り、記事によると28日に除幕式が行なわれるとのこと。そんなわけで除幕式後の6月1日にさっそく訪問させていただきました。

呉警固屋沖で大破着底した巡洋艦「青葉」
「青葉」のこと、太平洋戦争末期の呉空襲時にこの警固屋で大破着底したことは知っていたのですがそれ以外のことは知らず・・・ 調べてみると、1927(昭和2)年に就役しています。歴代艦長には当時連合艦隊長官だった山本五十六が戦死した後に連合艦隊司令長官になった古賀峯一がいらっしゃいました(驚)。

この巡洋艦青葉終焉之地碑の碑文は乗組員だった中曽根康弘元内閣総理大臣が揮亳されたそうです。建碑記と戦歴表がありました。


建碑記を記します。
建碑記
「巡洋艦青葉」は太平洋戦争のフィリピン沖海戦において昭和19年10月23日ルソン島西方で米潜水艦の魚雷を受けて大破し、呉海軍工廠に帰還しましたが、修理の見込みが立たないため防空砲台として警固屋地区の海岸に繋留されていました。
しかしながら、昭和20年7月24日と28日のアメリカ爆撃機の熾烈な爆撃を受け、「青葉」は大破着底しました。この爆撃により警固屋地区にも死者3名、民家全壊48戸という被害を生じてしまいました。
これら戦争の事実とともに、「命と平和の尊さ」を次世代に伝えるため、「青葉」に乗艦経験を有する中曽根康弘元内閣総理大臣にご揮亳いただき、終焉であるこの地に碑を建立しました。
呉市警固屋まちづくり協議会
巡洋艦青葉終焉之地碑建設保存会
この青葉が大破着底したのも7月24日と28日の攻撃です。この攻撃では多くの被害がありました。江田島にはこの攻撃で大破・沈没した榛名・出雲、大淀や利根の慰霊碑があります。

この終焉之地碑がある場所近くから望む海です。とても静かな海でした。ちなみに右のほうに小さく見える艦は護衛艦「いせ」だったりします。そういえば戦艦「伊勢」も太平洋戦争末期はここに近い三ツ子島附近で防空砲台となり7月24日および28日の空襲で大破着底、多くの戦死者を出しました。
戦争と平和については相手があることなので、カンタンによい方向に転がるばかりではありません。最近海洋権益をやたらと主張している国もありますし、日本領土である島に施設をつくっている国もあったりします。それでも、この海はもちろん、多くの海が静かなままでいることを祈るばかりです。
このページの公開日:2012.06.02