旧帝国海軍:大麗女島の蛟龍(こうりゅう)地下工場
今月1日に大麗女島の蛟龍(こうりゅう)地下工場跡を観に出かけました。蛟龍は特殊潜航艇であり、正式には甲標的丁型といいます。甲標的甲型、乙型を改良された丁型でしたが、実戦における戦果は不明のようです。甲標的については コチラ(戦争遺構:特殊潜航艇甲標的の基地、倉橋島) を参照していただければと思います。

小用~呉フェリーから観る大麗女島
「大麗女島を観る」といっても、陸続きではないので車で出かけることができません。そもそも、現在は海上自衛隊の弾薬庫があり上陸を許されていません(苦笑)。そんなわけで、江田島の小用港と呉を結ぶフェリーから見学です。

こちらは大麗女島のすぐ横にある小麗女島。ここには海軍の見張り所がありました。要港であった呉に入ってくる艦船はどんなに小さな船であっても、監視人は目を光らせていたに違いありません。

こちらが大麗女島。1枚目の画像からよりトンネル(?)があるところをアップしています。トンネルの入口みたいなものが数本あるのがわかります。さらに近づいたものが下の4枚。左から右へ流しています。




アジア歴史資料センターの資料(Ref.C08010916500)によると7本(画像右側から1號、2號、3號・・・)あるのですが、木々が茂っているせいか6本しかわかりません。前述の資料を見る限り、左から4本目のすぐ右ぐらいにもう1本の入口があるはずです。
このトンネルでは燃料の備蓄が行なわれていたのですが、終戦間際にトンネルの一部を改造・拡張し、特殊潜航艇「蛟龍」の地下工場となりました(アジア歴史医資料センターのRef.C08010916500とC08010961600を比較するとトンネルの違いがわかります)。燃料であっても特殊潜航艇であっても、空襲に見舞われたとしても自然の要塞が守ってくれるということなのでしょう。
しかし、この大麗女島工場で実際に完成した蛟龍は少なかったようです。
おまけ:フェリーからの眺め
大麗女島を撮る目的は無事に果たすことができました(^-^)。ここからは呉に到着するまでのいろいろを。ちなみに大麗女島までは左舷にいたのですが、ここからは右舷に移動して撮っています。

最初に停泊している護衛艦「さみだれ」。7月26日は桟橋にいましたが、この日は沖に停泊していました。

続いて旧砲塔組立工場の積出クレーンの架台。旧砲塔組立工場には砲塔組立と実験用のピットが計11個ありました。そしてそのうちの3つが現在も原子炉の圧力容器の試験に使われているそうです。

こちらは今年6月に退役した護衛艦「はつゆき」でしょうか... 6月末に退役にしては早すぎるような気がするので、整備中の違う艦かな?

最後に海上自衛隊の呉地方総監部庁舎(旧呉鎮守府庁舎)。2007年に一般公開に出かけたときに、桟橋側が正面玄関と話があったのですが、3年経ってやっと正面玄関側から見ることができました(笑)。
回天や甲標的に思いがある私としては以前より気になっていた大麗女島。しかし「陸続きではない」「陸から見える方向は地下工場跡が見えない」ということであきらめていたのですが、ネットで探し物(?)をしているときに見つけたのが名無し鎮長官氏のフェリーで巡る呉の旅:三十糎艦船連合呉支部のページ。このページでフェリーから見えることを知り、観ることができました。感謝^2です。
参考にした書籍・資料
- フェリーで巡る呉の旅:三十糎艦船連合呉支部(名無し鎮長官氏)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08010916500、大麗女島燃料置場の図(防衛省防衛研究所)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08010961600(第13画像目から)、呉海軍工廠 引渡目録 1/8(防衛省防衛研究所)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08021667900(第24画像目から)、増築、増設2止(6)(防衛省防衛研究所)
このページの公開日:2010.08.11