広島電鉄 被爆電車 653号
8月9日、広島電鉄の被爆電車"653号"が走っていました。8月9日という日は、被爆後に市内線の一部区間が復旧運転された日です。
被爆電車"650形"は3両が営業中
8月9日に走っていた"653号"は2015年に被爆70年プロジェクトの一環としてはじまった"被爆電車特別運行プロジェクト"により当時の車体色で復活しました。このプロジェクトにはこの5年のあいだに約2,700名の方が参加されているそうです。
今年も"被爆電車特別運行プロジェクト"で一般市民の体験乗車が検討されたそうですが、COVID-19感染予防のために乗車体験はなくなりました。そのため、8月6日と9日に広島市内を走らせて、その様子がネット配信されました。至るところにCOVID-19のマイナスな影響が出ています…
ちなみにこの"653号"とは別の650形電車の"651号"と"652号"も被爆電車です。そしてこの2台は(朝夕など忙しいときだけかもしれませんが)通常運行されています。私も出勤時に利用したことがあります。
しかし、原爆が落とされたのが8月6日、広電が軍の協力を得て電柱を立て直し、被害を受けなかった廿日市変電所から電気を供給して壊滅状態だった広島市内(己斐〜天満町近辺)で9日に復旧運転されたというのは凄いです。
福島町電停近くで撮影
毎年この時期にイベントで"653号"が走っているのは知っていたのですが、こうやって撮るのははじめてではないかと思います。といっても、狙っていたわけではなく、たまたま通過する時間に近くにいたので撮ったのですが。そのため、カメラもレンズもいつものスナップ用(e-m10 markiii + 標準ズーム)で、なんともかんともなことです。
しかし、それよりも撮ることが難しかったのは、広電電車は道の真ん中を走っているということ。車が入ってきてしまいます。平和大通りで撮る時点でこれは予想できたわけですが、あらためて感じたのでした。
まわりには脚立を持った方、三脚を持ち歩いている方、白レンズをつけた方など5人ぐらいいらっしゃったでしょうか。皆さん、納得のいく写真撮れたかな?
戦後75年
今年は太平洋戦争終戦から75年(三四半世紀)というひとつの節目です。個人的には"戦後100年"は生きて迎えることはできないと思っているので、ある意味大きな節目。
戦後75年経ち、戦争を実体験された多くの方々が鬼籍に入られています。"体験を伝えていくこと"は容易ではありません。こういった被爆電車や、ここのところ話題となっている広島陸軍被服支廠など、さまざまな方面から歴史が伝えられていくことを願いますし、伝えていかないといけないと思います。
ディスカッション
コメント一覧
たか++さん、こんばんは。毎日暑いですね。
被爆電車の650型、当時はこんな色だったんですね。
木の内装と釣り掛けモーターの「ウォ~ン」という響きが大好きでした。
これからも歴史の生き証人として、長生きしてくれることを祈ります。
おはようございます、t_bowさん。ホント、暑いですね…
COVID-19にこの暑さ、なんだか疲れます(+_+。
5年前に復元されたせいでしょうか、塗装が新しいので既存のもののほうが”それらしく”見えます(笑)。
ここのところは650型に巡り合うこともないので、乗ってみたいものです。
80年、100年と歴史をつないでくれることを願うばかり。