分水界 “泣き別れ”(広島県安芸高田市)

2022年GWの終わりも近づいていた5月7日、安芸高田市の"泣き別れ"を訪れました。

分水界 泣き別れ 安芸高田市向原
分水界 泣き別れ 安芸高田市向原

2度目の訪問

この"泣き別れ"を訪れるのは2度めだったりします。以前訪れたのは… 2007年12月末なので、15年弱前になるのか(汗。そのときの最初の写真の説明板はあったのかな?

"泣き別れ"の説明板とキハ
“泣き別れ"の説明板とキハ

説明板を読んでいると、キハがやってきました。この区間、運行本数が多いとはいえない(というか少ない)のですが、タイミングがよかったみたい。車両前面が電柱で隠れてしまったのはご愛嬌(^^;。

分水界 泣き別れ

「泣き別れ」は瀬戸内海と日本海の分水界で標高二一四mの位置にあり、平地にある分水界としては珍しく、俚諺に「坂と戸島の村境、ひとしず落ちた雨でさえ、半分は南あとは北泣き別れとはようゆうた」と唄われている。
数万年くらい昔、三篠川の上流や見坂川は負根を迂回し、戸島川と合流して、日本海に注いでいた。ところが附近の堆積層調査によると浸食作用の強い三篠川が芸備地溝帯に沿って浸食し三篠川上流を奪い取って現在の地形となり、この地に分水界が形成されたものである。

昭和五十四年七月一日 向原町教育委員会

河川争奪の結果、ここに分水界がつくられたのですね。…知ったげに"河川争奪"と記しましたが、この言葉を知ったのは昨年のこと、上根峠の分水界(分水嶺)のことを調べたときです(汗。

線路脇の標柱

下の写真は2007年に訪れたときのものです。この頃はキハはタラコ色ではなく広島色ですね… ではなく、線路脇の"泣き別れ 分水界"と記された標柱です。

分水界 泣き別れ 安芸高田市向原 2007年
分水界 泣き別れ 安芸高田市向原 2007年

今回訪れたときのものが下の写真。狸は山に帰ってしまっています。

分水界 泣き別れ 安芸高田市向原 2022年
分水界 泣き別れ 安芸高田市向原 2022年

今回は線路近くまで行くことはしなかったのですが、黒くなってしまっている柱がそれでしょうか? 位置はそれっぽいので、15年の月日で文字もわからないくらいになってしまったということかもしれません。

平地にある分水界として珍しいものなのですが、説明板は気にしないと見つけることができず、白木街道にそれを示す看板などはありません。マニアックな地理現象、もっと興味を持つ人が増えるように(笑。

おまけ:向原駅を出るキハ

向原駅を13時04分に出発する三次行きです。

向原駅を出る三次行き普通列車 1830D
向原駅を出る三次行き普通列車 1830D

向原駅で降りたのは1人、乗り込んだのも1人だけでした。先日JR西日本が芸備線について「前提なき議論を」と沿線自治体に提案しています。日本がかわり、住民の生活も大きく変わりました。地域の公共交通については、さまざまな議論が必要なのかもしれません。