三永の石門(広島県東広島市)

天気がよかった10月18日、東広島までドライブしました。目的地は “三永の石門" です。アーチの先にアテンザワゴンさんが小さく写っています(笑)。

三永の石門(国道2号下り側から)
三永の石門(国道2号下り側から)

“三永の石門"は国の登録有形文化財

この”三永の石門”、石で造られた橋などが気になる私なので以前よりその存在は知っていました。国道2号線そばにあり、たまに通ったときには “この辺りなのかな?" と周りを見てみたりもしてたのですが、訪れることはなく。

今年は3月に岩国の鮎原剣神社穹崇橋、先月は防府の枡築らんかん橋、と、石で造られた橋を観に出かけています。"ほかにないかな?"と探していたところ、 この"三永の石門"を思い出したのです。

三永の石門 説明板
三永の石門 説明板

”三永の石門”そばに説明板がありました。

登録有形文化財 三永の石門

明治時代の初めごろ、新政府は、交通網の整備を行うため、幹線道路であった西国街道のルートを変え、国道2号として改修することになりました。その際、西条側と竹原側の分水嶺となっていた尾根を掘り割ることとなりましたが、この尾根上には北側の鯉が原池などの溜池から引いた農業用水路がありました。この水路は付近の水田を作るため大切な水路であったため、水路を維持するために国道を跨いで架けられたのが、この石門です。
工事は田万里村(現竹原市)の近藤権兵衛が請け負い、石工は広村(現呉市広町)の鼎(姓は不明)が弟子5~6名を率いて工事にあたったと伝わっています。明治11(1878)年秋頃着工し、明治15(1882)年春頃竣工したようです。
石造アーチ式の上路水路橋ですが、アーチを作る技術は秘伝扱いとされていました。橋梁のアーチを受ける仮枠は、板城村の大工が楔止めで組んだのち、石工により切石を用いてアーチ部を作り、その上をさらに薄い板石で巻いています。幅・高さとも2間(約3.6m)で、石の厚さは1尺5寸(0.45m)を測ります。
昭和53年、交通量が増えた国道2号は拡幅されることになり、石門は現地(現在の石立橋付近)での保存が困難となりましたが、地元の要望もあって、建設省(国土交通省)により約100m西に離れた現在地に移築保存されました。 この石門は、本州における石造りアーチ橋としては、数少ない実用橋です。農業のための住民の橋として、わが国の石橋史上、大変貴重な価値を有しており、平成10(1998)年に国の登録有形文化財に登録されました。
東広島市教育委員会

石門の上に説明にある水路を見ることができます。

三永の石門 水路が確認できます
三永の石門 水路が確認できます

この水路を確保するために、3年以上の月日をかけてこんな立派な石門を築く… ここのところ円筒分水などを見ているせいもあるのかもしれませんが、やはり生きていくため、生活を成り立たせるために水は欠かせないものなんだと改めて感じさせてくれます。

アーチ部分に寄ってみます。説明にある切石と板石がわかります。

三永の石門アーチ部分
三永の石門アーチ部分

秘伝扱いされていた技術でアーチが造られました。 秘伝扱いとは違いますが、先日積水化学の社員が自社のスマートフォンに関する機密情報を中国系企業に漏らしたという事件が報道されていました。5月に懲戒解雇された社員はファーウェイに再就職したとか(すでに退社してるらしい)。

かなり前になりますが、製鉄会社が韓国の同業社を訴えたこともありました。いつの時代も技術というのは大切。でも、その技術の得る手段は正しいものでないといけません… 話がそれてしまいました(汗)。

最初の写真は国道の下り側からみたものでしたが、上り側からみるとこんな感じ。って、大きな違いはありません。違うのは付いてきたツマが写っていること。

三永の石門(国道2号上り側から)
三永の石門(国道2号上り側から)

最近、私が出かけるときにツマも付いてくることが多い。これは、母が父が亡くなってから"今思うと、お父さんが出かけるときにもっと一緒に出かければよかったねぇ"とよく話していることが影響しているのかもしれません(^^(^^;。

国道2号、昭和53年までこの幅だったということ?

この"三永の石門"を最初に見てからずっと気になっていることがひとつ。説明によると、昭和53年に国道2号が拡幅されることで移転したということなので、それまで国道2号はこの辺りではこの幅だったということなのでしょうか?

三永の石門 正面から
三永の石門 正面から

昭和初期ならばいざ知らず、昭和50年代であればそれなりに車が走っていると思います。でも、この幅では離合もできません。少しググってみてもわかりませんでした。気になります。

キリ番8,000kmと米軍車両

この日、アテンザワゴンさんのオドメーターが8,000kmを超えました。納車されて1年4か月ほどでこの走行距離では、車検までに20,000kmも届きそうにありません(汗)。

アテンザワゴンさん 8,000km
アテンザワゴンさん 8,000km

そして山陽道で遭遇したのが米軍の車列(ドライブレコーダーの動画を切り貼りしたものです)。これまで自衛隊の車両に会うことはありましたが、米軍ははじめてかも。

山陽道で遭遇した米軍車両群
山陽道で遭遇した米軍車両群

比較対象となるナニカが写っていないので想像しにくいと思いますが、どの車両も大きかった。タイヤだけでアテンザワゴンさんの車高があるんじゃないかと(それは大げさ)。行き先はどこだったんだろう? このあたりには川上弾薬庫がありますが。

“三永の石門"、これまで"現在は使われておらず、移設されて保存されているもの"ということで、訪れることがなかったのですが、実際に目にしてみるといいですね。訪れてよかったです(^-^)。