玖波隧道(広島県大竹市)
天皇盃第30回全国男子駅伝(ひろしま男子駅伝)が開催された1月19日、大竹市の玖波隧道を訪れました。玖波隧道は広島県で最古の現役道路トンネルです。
1879(明治12)年竣工の隧道
明治時代になると近代的交通発達のために全国で主要道の改良、新設という道路の整備がはじまりました。広島においても1873(明治6)年から西国街道の広島~大竹間を海岸沿いの新道にする建設が進められます。しかし広島~大竹間には6か所の難所があり、道路の新設は難航しました。そこで1878(明治11)年に工事担当取締に和田吉左衛門(大竹小方の元戸長)を任じました。
この場所は玖波村馬ためしと呼ばれる難所でしたが、1879(明治12)年に玖波隧道が完成。そして1880(明治13)年に広島~大竹間の新道が開通しました。新道が開通して荷車から馬車へ、昭和になると自動車も輸送手段となります。これらの輸送が増加し、玖波隧道は1936(昭和11)年に拡張工事が行われました。この拡張工事により、玖波隧道は今の形になりました。
旧国道に
しかし車両のさらなる増加と大型化で新道は能力の限界を迎えます。そこで1940(昭和15)年から新国道建設工事がはじまりました。しかし戦争による資材、労働力不足により工事はすすみません。国道2号の広島~大竹間が現在の路線となったのは1957(昭和32)年度のことです。
玖波隧道については、1945(昭和20)年に海側に新道がつくられました。そして玖波隧道は交通の主役を退いたのでした。
主役を退いた玖波隧道ですが、生活道路として利用されています。私が訪れたときも、思いの外、車やバイクの行き来がありました。
古いトンネルだからでしょう、イマドキのトンネルと違って坑門工は飾られています。アーチの中心となる石も五角形になっていたり。また、名前を記したプレートも立体的になっていたり、上がこちらも五角形だったりと凝ってます。
写真左側が現在の国道2号線です(ちょうど標識もでてますね)。参考にした書籍に記した「大竹市史」には改修前後の玖波隧道の写真が掲載されています。改修前の写真をみると、海側は小山が海岸線まで続いており、手前は砂浜で舟が写っていて。今の国道2号はその小山を切り開いて通した切り通しなんですね。
1936(昭和11)年に拡張工事が行われた玖波隧道ですが、結果として10年と経たないうちに旧道となりました。江の川発電所もそうですが、当時(≒戦時であり戦前)はさまざまな需要が想定を上回る速度で発生していたということかもしれません。
そんな歴史のある玖波隧道、その歴史をもっと多くの方に知ってもらえるといいですね。大切にされますように。
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