枡築らんかん橋(山口県防府市)
4連休初日の19日は久しぶりに広島県外へ。といっても新型コロナ禍でもあり、人が多く集まるようなところには行きません… もっとも、私が訪れるようなところはあまり人が多く集まるようなところではなかったりもしますが(^^(^^;。
山口県防府市へ
私(とツマ)が出かけたのは山口県防府市。防府市、これまで道中に通過することはありましたが、目的地として行くのははじめてかもしれません。そんな防府市にこの日訪れた目的地のひとつが"枡築らんかん橋"でした。
市指定有形文化財 “枡築らんかん橋"
“枡築らんかん橋"は防府市の指定有形文化財となっています。橋のブリヂストン工場側に説明板がありますので、紹介します。
昭和四十六年(一九七一)三月二十七日指定
所在地 防府市大字田島
枡築らんかん橋は、大浜に塩田が築かれた明和年間(一七六四〜一七七二)に、枡築間の通路として、入川の上に架橋された石橋です。かつては木製の欄干が取り付けてありましたが、現在は欠失しています。
橋げたの露出部は長さ八.八メートル、幅一.八メートル、中央つりげたの厚さは一五センチメートルで、橋の中央部は、満潮時でも製塩の燃料となる石炭や製品となった塩などを乗せた上荷船が通行できるように、橋台から六〇センチメートル程度高く造られています。
大浜塩田には、ほぼ同型同大のものが九橋ありましたが、往時の地に残るものはこの一橋のみとなっています。
(防府市では、大浜にあった橋を三田尻塩田記念産業公園内に、江泊浜にあった橋を山陽自動車道上り線佐波川サービスエリア内に移設し、保存しています。)
平成二十五年九月
防府市教育委員会
説明にある大浜の塩田はまわりの 古浜、中浜、鶴浜、江泊浜、西浦浜の塩田とともに 「三田尻六ヶ所浜」 と呼ばれたそうです。この三田尻の塩田は、日本で有数の塩田のひとつとして栄えました。
塩田と直接関係ありませんが、三田尻といえば天然の良港であり、交通の要衝としても栄えていました。また、太平洋戦争末期に菊水一号作戦に参加する戦艦大和を含む10隻の"海上特攻隊"が仮伯した場所でもあります。 …話がそれそうなので戻します(汗)。
この"枡築らんかん橋"、見るだけでなく、実際に歩いて渡ることができます。橋のたもとにある看板には “バイク通行禁止"… ということは、自転車も渡っていいみたい。
しかし、この橋を自転車で渡るのは天板への急な角度と天板に欄干がないので勇気が必要かもしれません(汗)。そして、自転車を降りて渡るのも天板の幅がひろくない(1.8m)ので少し気を使いそう。住民の方々は自転車でも渡っているのかな?
それにしても、見れば見るほど変わった橋です。橋脚はなく、両岸から伸ばした石で橋を支えている格好。このつくりは日本の三奇矯の一つに数えられている山梨の"甲斐の猿橋"を元にしていると言われているそうです。
ネットで"甲斐の猿橋"を観てみましたが、"奇橋"という単語から想像するような橋ではありません。周りの風景もありますが、とても美しい橋(凄)。紅葉の季節に訪れてみたくなるほどでした。
とはいえ、"美しさ"という面からはなんですが、この"枡築らんかん橋"が持つ独特の雰囲気はとてもいいものがあります。"塩田が栄えていた頃、この橋の下を船が通行していたんだな"なんて思い浮かべてこの橋を見るというのは、とても贅沢な時間ではないでしょうか。
NHKの “とうちゃこ" を観て
この"枡築らんかん橋"を知ったのはNHKの番組 “にっぽん横断 こころ旅" でした。火野正平さんが視聴者から送られてくる思い出を記した手紙をもとにその地を訪れる番組。私の両親は"とうちゃこ"と呼んでました。
この”枡築らんかん橋”の回を観たのは、もう父の死期も遠くないであろうと感じていた頃。その頃は週末土日のどちらかは朝8時ぐらいから父のいる緩和ケア対応住宅を訪れて話をしていました。
父も私と同じようにいろいろなところにドライブに出かけていましたが、この”枡築らんかん橋”は知らなかったみたい。そんなこともあって、いつか訪れようと思っていたのです。やっと訪れることができてよかった^2。
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