今福線:未成線の遺構たち【1】
9月26日に今福線(広浜鉄道)の遺構を観に出かけました。今福線についての詳細は他のサイトを参照していただくとして、ここではカンタンに・・・
今福線は広島の三段峡から島根県浜田市を結ぶ路線として計画されていました。広島~三段峡~浜田を結ぶ陰陽連絡鉄道の一部です。昭和のはじめ、浜田市の下府から今福の区間で工事が着工しましたが、太平洋戦争により中断。戦後に鉄建公団が戦前とは異なるルートで工事が再開されましたが、結局工事は凍結。その後は工事が再開されることもなく、未完成のまま幻となってしまいました。
しかし、現在でも当時に作られたトンネルや橋りょう、橋脚が数多く残っています。そんな当時の夢の名残を観に出かけたのでした。
遺構の場所
私が写真に撮ることができた遺構の場所をGoogleMapにプロットしておきます。それぞれにつけている番号が画像の番号と一致します。興味を持って出かける人の参考になればと思います。
より大きな地図で今福線の遺構 を表示
金城町今福近辺の遺構
浜田自動車道金城スマートICでおりて県道5号線そばで見つけることができるのが下の橋りょうとトンネル。
1-1
こんな意味不明な構造物が県道横にあります。取り付けられているプレートによると名前は「今福橋りょう」、設計は日本鉄道建設公団下関支社、着手は昭和44年12月16日、竣工は昭和45年3月31日とのこと。
1-2
この「今福橋りょう」の先にトンネルが見えます。この道自体、線路が敷設される予定だったところです。このトンネルに向かうのが戦後に作られた新線、道途中に左に曲がる道があるのですが、こちらが戦前に計画されていた旧線。ちょうど新線と旧線がまじわるのがこの場所です。
1-3
トンネルの近くへ。このトンネルの名前は「下長屋ずい道」、設計は日本鉄道建設公団下関支社、着手は昭和48年11月30日、竣工は昭和50年8月28日とのこと。延長1638mのトンネルです。
すぐ近くまで行くと、反対側の出口から光も見えるのですが、さすがに入ることはしませんでした。入れないようになっており、実際入ってはいけないのですが、仮に入ってよくても決して入ることはしないでしょう(汗)。
佐野町(?)近辺の遺構
県道5号線を少しばかり浜田方面へ向かいます。ちょっと狭い道に入るとまた遺構が現れます。というか、この狭い道自体、やはり線路が敷設される予定だったところです。
2-1
車の離合ができるところは限られていますが、気にせず進むと現れるのがこの橋りょう。この写真は渡ってから撮ったものです。橋傍にあった碑(?)によると名前は「眼鏡橋」、昭和十二年(驚)に竣工したようです。
2-2
広いところにでて見つけることができるのがこの案内板。なんでも地元の方がつくられたそうです。ちなみにこの案内板の中心に大きく写っている橋りょう、見ることができませんでした(涙)。
2-3
案内板の先に見える橋りょうです。新しく見えますが、実際に新しいようです。古い橋を取り壊し、新しくかけたとのこと。この橋をまっすぐ行くと、さきほどの案内板にあった橋りょうまで行くことができたようです。
ちなみにページ最初のGoogleMapを詳細にするとわかりますが、この道の先は「下長屋ずい道」の反対側の出口です。当たり前といえば当たり前なのですが、とても不思議でワクワクする感じ。
2-4
2-1で渡った橋を並行して走る道から。望遠側が50mmしかないレンズをつけていたので小さいのはご勘弁(汗)。それにしても、この眼鏡橋を気動車が走ってたかもしれないと思うと、やはりワクワクしてしまいます。
県道301号沿いの遺構(1)
県道301号に入って最初に見つけることができるのがこのトンネルと橋脚ではないかと思います。最初に載せたGoogleMapでいうと、ちょうど県道301号が浜田自動車道の下をくぐる手前ぐらいの場所になります。
3-1
とても短いトンネルなのですが、JR西日本による立入禁止の柵が。ということは、まだこのトンネルの持ち主(?)はJR西日本なのかなって。ちなみにこの向きは浜田方面に向かって走っていると通り過ぎる向きになります。
3-2
浜田方面に向かっているときに目に入るのはこちら。ちょっとわかりにくいかも。実際私は気づかずに通り過ぎました。上に書いたように浜田道をくぐると過ぎていますのでご注意を。
3-3
今福側から3-2のトンネルに向かう橋脚がこちら。
3-4
3-1から浜田方面に向かう橋脚がこちら。気にしないと気づくことすらないと思いますが、わかって探しているときに見つけることができると、何ともいえずにとても嬉しい。何か素敵なものを見つけたって感じです。
まだまだ遺構は続きます。この続きは今福線:未成線の遺構たち【2】へ。
このページの公開日:2010.10.06