臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑
廿日市招魂社を訪れた6月21日、臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑も訪れました。
似島につくられた臨時陸軍檢疫部
戦争から帰ってきた兵士たちの中には戦地で感染症に罹患した者もいます。そのまま日本に戻ってくると日本国内に感染症を拡げてしまう可能性があります。国内への感染症の侵入を防ぐために、日清戦争で勝利を収めた日本は1895(明治28)年6月に似島、彦島、櫻島の3箇所に検疫所をつくりました。
この臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑は似島の検疫業務において亡くなった方々を追悼する碑です。
碑文を載せます。一部認識できない文字がありました。ネットで調べたりしましたが、やはり自信がないところもあります。
遠征ノ師アレハ惡疫ノ之ニ随フコトハ古今ノ戰史ニ徴シテ明カナリ故ニ師ノ將ニ凱旋セントスルニ先タチ檢疫部ヲ設ケ以テ惨毒ヲ豫防スルハ軍國ノ一大要務トス苟モ然ラスンハ縦令捷ヲ外ニ制スルモ病ニ内ニ勝ツコト能ハスシテ或ハ病死者ヲシテ戦歿者ノ數ヨリモ多カラシムルニ至ル豈察セサル可ケンヤ明治二十七八年戰役ノ終リニ於テ我陸軍ハ豫メ臨時檢疫部ヲ組織シ似島彦島及櫻島ニ檢疫所ヲ置キ檢疫ヲ行ハシメタリキ其數船舶六百八十七隻人員二十三萬二千三百四十六名物品九十三万二千六百七十二點ノ多キニ上レリ是ニ於テ我軍國檢疫ノ目的ヲ達シ全局ノ大功ヲ収メタリ寔ニ萬古未曾有ノ盛事ト云フヘシ鳴呼檢疫ニ從事スルノ諸氏ハ一身ヲ以テ犠牲ニ供シ一百餘日ノ久シキ毫モ倦怠ノ色ナク遂ニ惡疫ヲシテ豫期ノ如ク甚シキニ至ラシメスシテ止ム其功實ニ偉大ナリトス就中陸軍歩兵少尉広田伸頼君以下五十有三名ノ如キハ檢疫中病毒ニ感染シ以テ其命ヲ殞セリ洵ニ其功績ハ陸軍檢疫ノ偉業ト共ニ湮滅ス可ラサルモノナリ乃ナ同志ノ賛助ヲ得テ之ヲ石ニ勒シ以テ後世ニ傳フコト云爾
明治二十八年十月三十一日
臨時陸軍檢疫部長 陸軍少將 正四位勲二等功三級 男爵 兒玉源太郎識
“明治二十七八年戰役"とあるのが日清戦争のことになります。軍隊として戦うことはもちろんですが、戦地で罹患した感染症を国内に拡げないことも軍隊の大きな仕事と考えて検疫部を作ったことがわかります。
この検疫所で687隻の船舶、232,346名の人員、932,672点の物品を検疫しました。その業務中に感染症に罹患して亡くなった53名の方々の功績を後世に伝えるために作られた碑です。
COVID-19の前線で戦う医療従事者の方々を
碑のとなりに説明板があります。上の説明はいらなかったかな(苦笑)。説明板は船舶682隻とありますね… 碑文をみると六百八十"七"隻だと思うのですが。
もっとも、そんな隻数のことなどは小さなコト。国外の感染症を国内に持ち込ませないために検疫を行い、その業務で自身の命を落とした方がいるという事実。命を落とすことはなくとも、罹患してしまった方もいらっしゃるに違いありません。
2020年の今、日本だけでなく世界各地でCOVID-19と戦っている医療従事者がたくさんいらっしゃいます。戦いの真っ只中では難しいかもしれません。しかし、ワクチンや薬ができて一定度落ち着いたときには、日々自身の罹患を意識しながら前線で戦った医療従事者の方々のことを後に伝えることができればいいなと感じます。
饒津神社
臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑は饒津神社(広島市東区二葉の里)の境内にあります。
饒津神社の境内には北清事變忠死者記念之碑もあります。
碑の説明板を記します。
明治三十二年(一八八九)より明治三十三年に列強の進出に抗した中国民衆の外国人排斥運動(義和団事件)に対し日・英・露・独・仏・伊・墺の八カ国は連合軍を組織してこれを鎮定(日本では北清事変と呼称)。
広島市に拠点を置く歩兵第十一連隊はその一翼を担い出兵。
二三八名の戦死者名を刻字し、慰霊・追悼し、顕彰した。
歴史の順でいうと、北清事変は日清戦争のあととなります。この後、日露戦争に満州事変からの支那事変(日中戦争)、太平洋戦争と続きます。戦争で亡くなった方々は戦争は望まないでしょう。令和の時代も戦死者がでることがないように。
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