大麗女島の蛟龍地下工場-2021年(広島県呉市)
海の日の満艦飾を観に出かけた日(7月22日)、呉湾おさんぽクルーズを楽しみました。呉港と江田島の小用港の往復をワンコインで楽しむことができる"呉湾おさんぽクルーズ"、造船所や海上自衛隊の艦艇だけでなく、呉湾に浮かぶ大麗女島と小麗女島を見ることができます。
11年ぶりの大麗女島
ということで(?)、大麗女島です。大麗女島は呉港の入口に位置します。となりの小麗女島には海軍の見張所があって監視の目を光らせていました。私がこの大麗女島を船の上から見るのは11年ぶり。11年前も呉〜小用を結ぶフェリー上から見ました。そのときはおさんぽクルーズなんてチケットがあることを知らず(なかったのかな?)、普通の往復したのを覚えています。
なぜこの大麗女島を紹介するのかというと、蛟龍の地下工場があったから。11年前も同様に紹介したのですが、今回文章の修正や情報の追記を行いました。
蛟龍の地下工場
もともと大麗女島には海軍の燃料置場がありました。
7本のトンネルがあり、それらが燃料置場になっていました。って、上写真だとレンガの建物の右側に1本、右端に1本の2本ぐらいしかわからないですね(苦笑。もっと寄ってみるともう少しわかります。
…あまりわからないですね(汗。トンネルについては11年前の写真のほうが植物が茂っていないおかげで、画像サイズが小さくてもよくわかります(汗^2。
ちなみに島の反対側には、(きっと2つ上の)トンネルの出口があります。
本土決戦が具体的なことになると"蛟龍"が決戦兵器のひとつとして期待されるようになりました。呉海軍工廠においても、大麗女島燃料置場のトンネルを改造して各種工作設備や動力設備などを設置し、地下工場として使用することにしました。
完成した地下工場は「(呉工廠)造船部麗女島工場」と命名されました。アジア歴史資料センターで複数ページに分かれていたものを1つにしたのが上のものです。ただのトンネルだったものが内部で接続されて工場化されているのがわかります。
1945(昭和20)年5月5日に操業を開始しましたが、物資の不足や機構の複雑さなどから大麗女島で終戦までに完成した"蛟龍"は5〜6基程度だったそうです。
参考文献など
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08010961600、呉海軍工廠 引渡目録 1/8 (防衛省防衛研究所)
- 甲標的と蛟龍(歴史群像太平洋戦史シリーズ)/ 学習研究社
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません