広島陸軍被服支廠

広島市には旧陸軍の広島被服支廠の倉庫が残っています。以前より保存か取り壊しか議論のありますが、今年広島県は保有する3棟のうち、"2棟解体、1棟の外観保存" の方針を出しました。この県の方針に対し広島市や一部市民団体は全棟の保存を要望をしています。

このページではそんな広島陸軍被服支廠について記します。

広島陸軍被服支廠 倉庫のひとつ

広島陸軍被服支廠とは

陸軍被服廠の業務は広島に支廠を置くことが明記された1908(明治41)年の条例では以下のように規定されています。

陸軍被服廠は陸軍被服品ノ調達、製造、貯蔵及補給を掌り陸軍縫靴工長ノ養成二任シ且被服二関スル試験ヲ行フ

引用元:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020749399、御署名原本・明治四十一年・勅令第二十三号・陸軍被服廠条例改正(国立公文書館)

陸軍に必要な被服に関するすべての業務を行うのが被服廠です。その被服廠の支廠が広島に設置された理由は、やはり宇品港の存在でしょう。兵器廠や糧秣廠の支廠が設置されたことからも宇品港の存在が大きかったことが想像できます。

広島陸軍被服支廠 並ぶ倉庫

太平洋戦争の終戦後、被服支廠の敷地はいろいろな施設に転用されました。広島皆実高校や県立広島工業高校も旧被服支廠の敷地が転用されたものです。

現存する4つの倉庫

そんな広島被服支廠で現存するのが4つの倉庫です。この倉庫は1911(明治44)年度に建設されることが決まり、1913(大正2)年度に竣工しました。

標題:広島陸軍被服支廠新築工事の件

この倉庫群の基礎工事は当時としては珍しい “コンプレッソル工法" で行われています。ただ、地層が軟弱だったこともあって工事はとても難航したようです。また、建物も当時としては珍しいRC造となっており、この倉庫群は被爆建物としてだけでなく、建築史の方面からも貴重なものと考えられています。

広島陸軍被服支廠 倉庫 敷地内側

被爆建物

この広島陸軍被服支廠倉庫は原子爆弾の爆心地から3km弱ほど離れた場所にありますが、RC造りで外壁も厚かったこともあり倒壊することはありませんでした。国土地理院の空中写真閲覧サービスを使って比較すると、多くの建物が消失した中で、倉庫が残っているのがわかります。

広島陸軍被服支廠 国土地理院 空中写真閲覧サービスより

建物の倒壊はありませんでしたが、原爆の爪痕は残っています。このように大きく歪んだ窓の鉄製扉を現在も多く見ることができます。

爆風により歪んだ窓の鉄製扉

全棟保存を望む声

最初に記したように、広島県は保有する3棟のうち2棟を取り壊し、1棟を外観保存する方針を出しました。残る1棟をもつ国は基本的に取り壊す考えでしょう。一方で広島市や一部市民団体は全棟保存を希望しています。

私的には残すための費用を考えると、他にその費用を回すべきところがあるだろうと考えていました。しかし、久しぶりに回天訓練基地を訪れて感じたことが影響しているのでしょうか、それとも歳をとったせいでしょうか、こういった遺構の存在自体が他では感じることが難しい大きな力を持っていると考えるように。

回天訓練基地を訪れたときにも記しましたが、やはり実物を自身の眼で見て感じるというのは、人に訴える力、考えるきっかけとする力が違います。

この被服支廠は遠くない未来にその形を換えてしまうかもしれません。それでももっと多くの人が知って、できれば訪れて、自身がそれぞれ考えるきっかけとなればいいなと思います。

参考文献など