中国憲兵隊司令部跡(広島市中区)
司令部"跡"といっても、何か施設が残っているわけではありません。広島市中区基町のビル(大和証券広島支店の隣のビル)に碑銘版と新聞記事が設置されています。
米軍兵士12名が原爆の犠牲に
碑銘版を設置したのは広島県在住の森重昭さん。被爆者の森重昭さんは広島の原爆で亡くなった米軍兵士の研究を続けられ、原爆投下当時に中国憲兵隊司令部に捕虜となっていた12名が亡くなっていたと結論付けました。
碑銘板の右上部と左上部に集合写真のようなものがあるのがわかるでしょうか? 向かって右がB24爆撃機ロンサム・レディー号の乗組員、左がB24爆撃機タロア号の乗組員です。
ともに1945(昭和20)年7月の呉軍港空襲に参加しましたが、戦艦榛名の攻撃により被弾し墜落。捕虜になりました。この2機の捕虜を含め中国憲兵隊本部に送られていた兵士たち12人が被爆死しました(ロンサム・レディー号:6人、タロア号:3人、SB2C ヘルダイバー:2人、F6F戦闘機:1人)。
碑銘板の下には新聞記事が貼られています。「広島の人の痛みは私の痛み」「B24爆撃機元機長同僚慰霊に来日へ」と。
そう、写真の方はB24爆撃機ロンサム・レディーの機長だったトーマス・カートライトさん。墜落後に他の同僚たちと同じように捕虜となり中国憲兵隊本部に送られていましたが、原爆投下前に東京に移送されたために被爆を逃れ、終戦後に帰国しました。
戦後は亡くなった同僚のこと、アメリカ政府の対応、戦争相手国だった日本への感情、さまざまな想いがあったことでしょう。しかし、森重昭さんがカートライトさんの生存を知り、交流をはじめたことをきっかけに1999年に広島市などを訪れました。
オバマ大統領の広島訪問
2016年5月27日、バラク・オバマ氏がアメリカの現職大統領としてはじめて広島を訪問しました。
オバマ氏が演説のあとに一人の男性被爆者を抱き寄せた写真を覚えている方も少なくないと思います。その男性が森重昭さんでした。オバマ氏は演説の中で森重昭さんの活動に触れています。
We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
2016年5月27日 オバマ大統領 広島での演説より
“(ここで亡くなったアメリカ人の)家族が失ったものは(彼)自身が失ったものと同じだと気付いた"といった感じでしょうか。私自身に同じようなことが降りかかってきたとき、時を経て同様に考えることができるのだろうか? と自問せずにはいられなかったのでした。
広島への原爆投下により米軍兵士が被爆死していたという事実。戦後アメリカ政府はその事実を長い間公式に認めることはありませんでした。しかし、時が流れ、現職の大統領がその広島で行った演説でふれるという事実。やはりアメリカという国、バラク・オバマ氏は凄い。日本にそういった政治家はいるのだろうか?
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