旧帝国海軍:大竹海兵団跡之碑
太平洋戦争終戦時まで大竹には海兵団が設置されていました。現代にその面影を残す施設は残っていないと思っていたのですが、記念碑があるということを知ったので訪れました。ちなみにこの記念碑、某工場の敷地内にあります。
大竹海兵団
海兵団という組織は帝国海軍において志願あるいは徴兵によって採用された新兵が、数ヶ月のあいだ海軍兵としての基礎訓練を受けるところです。各鎮守府に設置されていましたが、太平洋戦争がはじまり兵が急増します。そのため各地で新しい海兵団が設置され、大竹海兵団は呉海兵団分団として昭和15年12月に設置されました。
記念碑に記されている碑文を記します。
碑文
大竹海兵団は大東亜戦争を前にした昭和十五年十二月呉鎮守府管下の呉海兵団大竹分団として開団され、翌昭和十六年十一月二十日大竹海兵団として独立した海兵団は明治建軍以来海軍精神即ち、海軍魂を鍛えた伝統ある場所であった。
曾ってこの地において大日本帝国海軍の基礎教育と訓練をうけるため各地より青少年が志願及び徴兵等によって入団し、尽忠報国の念に燃え愛する祖国のために血と汗と涙を流した人数は実に十五万数千人に達したと言われている。
又基礎教育訓練終了後前線に配属され青春の尊い命を散華した英霊は数えつきない。
茲に大竹海兵団創設五十周年にあたり同団関係者各位等のご協力により記念の跡之碑を建立して平和の尊さを永く後世に伝えるものである。
平成三年十一月二十日 建立
大竹海兵団跡之地記念碑建設委員会
大竹海兵団には15万人以上の者が教育・訓練を受けました。その中には多くの予備学生も入団しました。回天搭乗員だった和田稔さんも1943年に大竹海兵団に入団しています。
この記念碑の土台には烹炊所の敷石が使われているようです。大竹海兵団の施設について興味のある方は「参考にした書籍など」に記したアジア歴史資料センターの資料をご覧ください... たぶんこの資料で間違いないと思っています(汗)。
大竹には海兵団のほかにも潜水学校が設置されたり海軍の街でした。終戦後は大竹港に41万人の方が引き揚げてきています。しかし工業団地として発展するのにあわせて当時のことを示す施設といったものは、潜水学校探知講堂のモニュメントを除くと見つけることができなくなってしまいました。
そういった中でこの記念碑は大竹海兵団を偲ばせる数少ないもののひとつです。気になった方は一度出かけてみられてはいかがでしょう? 最初に記したように工場の敷地内にありますので、訪問する時は工場の受付に立ち寄られることをお忘れなきよう。
参考にした書籍など
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08011444800(第25画像目から)、兵器軍需品引渡目録 大竹海兵団 (①-引渡目録-516)(防衛省防衛研究所)
このページの公開日:2012.09.08