旧帝国海軍:二河水源地取水口
9月19日、呉にある二河水源地取水口を訪れました。この取水口は呉鎮守府の開庁にあわせる格好で1888年(明治21年)に着工し、翌1889年(明治22年)に竣工。軍で使う水を確保するために築造された設備のひとつです。日本の初期の水道施設として近代水道百選に選ばれています。また、国の登録有形文化財にも選ばれているものです。
今も宮原浄水場へ
最初に記したようにこの二河水源地は呉鎮守府のための軍用水道として整備されました。ここで取水した水はこの取水口と同じように呉鎮守府水道として整備された宮原浄水場へ導水されています。
ちなみに2008年4月に訪れた本庄水源地は軍でより多くの水が必要となったために築造されたものです。
石造りのとても立派な取水口です。デザインをみても、取水口はアーチ状になっており、両端は柱が置かれた格好でとてもキレイ。そして1889年竣工ですから、もう120年以上経っているわけで・・・ とても一世紀以上前にできたものとは思えません。
一部文字が隠れてしまっていますが「呉鎮守府水道」と書かれている標石です。
取水口からの水が・・・
ここから出て・・・
石の下(?)を通って流れていきます。
さらに道は続きます。奥に見えるフェンスから先は入ることができません。黄色い看板には「宮原浄水場」の文字がありましたが、ここから宮原浄水場までどういう経路でつながっているんだろう?
そしてこちらが宮原浄水場。もっと近くまで行けるのかもしれませんが、道がわからず(汗)。また、呉市によくある急な坂道でウチの500が前進をやめ、止まりかけたことにビビったので、あまり深入りはしませんでした(汗^2)。
それはともかく、宮原浄水場は工事中のようです。呉市水道局によると平原浄水場の機能を宮原浄水場に統合し、かつ耐震化施設として築造するとのこと。このレンガ造りの宮原浄水場もかわってしまうのでしょうか?
この宮原浄水場はわかりませんが、戦後かなりの期間が経ち、見ることができなくなった戦争遺構がたくさんあります。これからもなくなっていくことになることを思うと、今のうちに少しでも見ておきたいものです。
このページの公開日:2011.09.25