旧帝国海軍:三ツ子島と坪井漁港のコンクリート船
久しぶりに出かけるのが安心な天気となった週末の22日、呉市音戸町の三ツ子島と坪井漁港のコンクリート船を観に出かけました。もっとも、ともに「観る」というよりも「眺める」という感じでしたが(汗)。
三ツ子島
三ツ子島、呉の人でなくても旧帝国陸海軍に興味がなくても耳にしたことがあるという人がいるのではないかと思います。それは2009年に財務省が三ツ子島に属する北側の小さな島を競売にかけたニュースを覚えていらっしゃるでしょうか? そのときに名前が出ました。ちなみに落札者は三ツ子島の南側の大きな島で事業を行なっている三ツ子島埠頭株式会社でした。

事業を行なっている隣の島が第三者に購入されてしまうと事業に影響がでてくるかもしれないということで、予想落札価格をはるかに上回る価格で落札したようです。そんな三ツ子島埠頭株式会社の事業はこの三ツ子島で工業塩の港湾荷役を行なっています。上写真の白いのがその工業塩(驚)。この塩の山(笑)をはじめて見たときは本当にびっくりしました。
この三ツ子島ですが、大正時代に海軍省が民間から買収、昭和になると帝国海軍が呉海軍病院三ツ子島消毒所を設置しました。そのときの跡が競売にかけられた小さな島にまだあります。そういえば、競売のことがニュースになったときにまだ汚染がどうのこうのという話もあったような・・・

また、三ツ子島には三ツ子島燃料置場がおかれました(引渡目録では三ツ子島材料置場となっていたので戦中に変わったのでしょうか?)。そんな三ツ子島で気になるのがこの建造物(?)。よくわからないので寄ってみます。

300mm(換算480mm)で寄ってもよくわかりません(汗)。というわけでトリミングしたのが下のもの。

コンクリートの建造物のようです。なんだかわからないのですが、アジア歴史資料センターの情報から想像すると三ツ子島材料置場にあった倉庫の骨組みといった感じでしょうか? こういった建物などの遺構というのは何かとても惹かれるものがあります。
坪井漁港のコンクリート船
続いて坪井漁港へ。坪井漁港では戦時中に作られたコンクリート船が防波堤となっています。

コンクリート船といえば、安浦港の武智丸が有名ですが、この坪井漁港のコンクリート船は武智丸を建造した武智造船所が、武智丸の建造前に曳航される油槽船(被曳航油槽船)として建造したコンクリート船のようです。知っていなければ気づくこともなにでしょう、それほどまで違和感がありません。

意識してみると、形状が少し変わっていることに気づきます。そしてコンクリート船だったということを知っていると船の舳先だとわかるでしょう。逆にいうと、知らなきゃ気づくことすらないですね、やっぱし(汗)。
コンクリート船などほとんど見る機会がないと思います。機会があれば立ち寄られてみてはいかがでしょう?
坪井漁港の場所
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おまけ:アレイカラスこじまの輸送艦ゆら

道中のアレイカラスこじまに輸送艦ゆらがいました。調べてみると1981年(昭和56年)3月27日竣工ということで、艦齢は30年ほど。小さな艦ですが、艇ではなく立派な艦です。揚陸のために船首が開いてなんてところが大発動艇(大発)を想像させ、どことなく第二次世界大戦の悲哀を感じます(私だけ?)。
参考にした書籍・資料
- 呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック / 奥本剛(光人社)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08010916200、呉海軍軍需部 引渡目録 3/3(防衛省防衛研究所)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C05023178100、公文備考 昭和8年 K 土木建築 巻15(防衛省防衛研究所)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08010965000(第15画像目から)、呉海軍工廠引渡目録 4/8(防衛省防衛研究所)
このページの公開日:2011.01.29