戦争遺構:呉線の目隠し板支柱跡
10月6日に呉線の目隠し板支柱跡を観にいってきました。知らない人が「呉線の目隠し板」ときいても「?」だと思いますが、モノはこんな感じ・・・ 下写真にある2つの逆L字型のコンクリート物が目隠し板の支柱です。
呉線の目隠し板とは
呉市のページにある「呉市の歴史」によると、この呉線の目隠し板は1936年(昭和11年)7月に設置されました。ちなみに、昭和11年といえば、二・二六事件があり、翌年の昭和12年には支那事変が起こっているような時代でした。
呉は沿岸に軍施設が集中しており、その施設を見ることができないようにするために呉線で海が見える川原石近辺に目隠し板が設置されました。あの戦艦大和の起工が1937年(昭和12年)11月であり、この大和の機密保持のために設置されたという話もあります。
ちょうど瀬戸内色115系が通過したので撮ってみました。115系がいかに古いといってもさすがに昭和11年なんかに走ってはいませんが(汗)、イメージはしやすいのではないでしょうか。
アップでみてみるとこんな感じ・・・ 生茂った草でわかりにくところはご容赦を。まだ10月という時期では、雑草も元気がいいようです。
気にしていなければ存在に気付くことはないでしょう。また、仮に存在に気がついても「なんだこれ?」と思うことすらないかもしれません。でも、こういった遺構がまだまだ残っていることを思うと、なんだか不思議な感じがして楽しくなってきませんか? ・・・そんなこと思うのは私だけ(^^;?
呉線の目隠し板支柱跡の場所
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場所は魚見山トンネルそば。国道31号からも気にしていれば見つけることができると思います。駐車場ですが、魚見山トンネルの交差点一角にある駐車場の2つの区画がコインパーキングとなっていました。見つけたときに「需要があるのだろうか・・・」と感じましたが、私は助かりました(笑)。
このページの公開日:2010.10.21