本川公衆便所(広島市中区)
COVID-19の外出制限によりドライブもままならず…って、何度めでしょうか、この書き始め(苦笑)。広島においては5月22日に “週末(土日)の不要不急の外出自粛" が解除されましたが、このページに記すのは解除前に訪れた密ではない本川公衆便所。
被爆建物の"本川公衆便所"
場所は本川を挟んで平和記念公園の反対側(西側)、本川橋と西平和大橋の間の緑地帯にあります。
この本川公衆便所が被爆建物として登録されたのは2015年のこと。原爆投下間もない頃に米軍が撮った写真や映像にとてもよく似た建物を見つけたのがきっかけ。私は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで原爆投下(1945年8月6日)前後の写真を確認しましたが、やはり空撮の写真ではわかりませんでした。
被爆建物として登録されていますが、普通に公衆便所として使うことができます。上写真で本川公衆便所の右に写っているのは常夜燈です。常夜燈は戦後に復元されたものですが、基台は戦前からのものです。
このほかにもこの界隈には歴史を感じさせるものがありますので紹介します。
雁木と舟つなぎ石
広島は川沿いに発展した町です。特に本川橋あたりは荷が集まり、商業の中心のひとつとして栄えました。荷揚げに使われた雁木が多く残っています(当時のものではなく護岸整備時に積み直されたものです)。
また、本川橋西詰すぐ横にある雁木では舟つなぎ石も復元されています。
この舟つなぎ石は川底から発見されて復元されたものです。
遠い昔にこの舟つなぎ石に舟をつないで荷の上げ下ろしをしていたこと、当時の絵葉書などから感じられる繁栄していた状況など思うと、なんだかとても興味深いものがあります。これが “存在するもの" のみが持つ力でしょうか。
手押しポンプ
そして少し西に行った道に手押しポンプが残っています。
手押しポンプについては何もわからないのですが、"津田式" “ケーボー号" と書かれています。調べてみると、津田式ポンプ製作所という広島の会社のもの。会社の創業者 “津田 喜次郎" 氏は広島観音高校のPTA会長をされていたそうです。広島観音高校の卒業生の私、少し縁がありますね。
2020年春はどこかに出かける、ということがなかなか難しい時期となってしまいました。そんなこともあって市内中心地を見たのですが、いろいろな歴史を感じることができて、それはそれで楽しいものだったと思います。
出かけることができるようになっても、市内中心地にも目を向けたいと思います(笑)。
参考文献など
- 本川西岸 被爆トイレか 管理の市、登録へ調査 市民有志の会が突き止め 広島市中区 / 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター
- 太田川放水路のあゆみ / 国土交通省 中国地方整備局
- 雁木保存とシジミ漁による 水辺文化の継承プロジェクト 報告書(雁木組) / 公益財団法人 河川財団
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