大田市駅の跨線橋(島根県大田市)

6月3日に島根県の大田市へ出かけました。目的地は世界遺産の石見銀山… ではなく、山陰本線大田市駅。

山陰本線 大田市駅

最古の鋳鉄製門柱

最初に記しておきます。私、島根県に大田市という市があることを知りませんでした(汗)。そして大田市にやってくるまで大田市(おお"た"し)だと思ってました(汗^2)。おお"だ"しと知ったのは道中にみた経路案内の標識という(汗^3)。申し訳ありません(汗^4)。

そんな大田市を知らなかった私がやってきた理由はコイツです。

大田市駅 跨線橋

大田市駅でホームを接続する跨線橋。コイツをみるためにやってきました。

この跨線橋の門柱、1890(明治23)年に造られた日本最古の鋳鉄製門柱です。

大田市駅 跨線橋

大田市駅は1915(大正4)年7月11日に開業しています。この鋳鉄製門柱は別のところから持ってこられたということですが、詳しいことはわからないらしい。

大田市駅 跨線橋

2番・3番ホームがある島側、プレートがつけられています。

大田市駅 跨線橋 プレート

1890年(明治23年)帝国鉄道庁 神戸工場にて製造とあります。"帝国鉄道庁"とはなんぞや? とアジ歴(アジア歴史資料センター)をみてみると、以下の解説があありました。

1907年4月1日、国有鉄道の建設、保存および運輸ならびに附帯の業務を掌るため、逓信省に設置された。帝国鉄道庁設置と同時に、それまであった鉄道作業局は廃止された。1907年3月11日公布の帝国鉄道庁官制によれば、庁内には、総務部、建設部、工務部、運輸部、計理部、鉄道調査所を置いた。職員には、総裁、副総裁、技監、理事、参事、主事、主事補、技師、書記、技手がいた。1908年12月4日の内閣鉄道院設置にともない、帝国鉄道庁は廃止され、所管業務は同院へと引き継がれた。

アジア歴史資料センター アジ歴グロッサリー検索より

帝国鉄道庁は1907年4月1日に逓信省に設置されたとあります。プレートの年代と合いません。解説にある廃止された鉄道作業局は1897年8月2日に逓信省に設置とやはりアジ歴の解説にあるので、その前に鉄道事務を管轄していた逓信省鉄道局によるものなのでしょうか。

大田市駅 跨線橋

跨線橋の通路部分です。窓枠の木、その鍵、鉄骨による補強など、キレイに塗装されていますがすべてが歴史を感じさせます(^-^)。窓枠の木、気持ち歪んでいるような(^^;。幅が狭いのも時代によるものなのでしょうか。

大田市駅 跨線橋

門柱のアップ。正直、これまで跨線橋を意識するということがなかったので他の駅がどんな感じでどんな感じのものが一般的なのかわからないのですが、いろいろなところに歴史があるんだなとあらためて感じます。

大田市駅 跨線橋

橋脚も門柱と同じ形となっています。階段部分のところに"1957-12″とあります。1957年は和暦では昭和32年です。大田市駅の開業は1915(大正4)年7月11日なのでかなり期間があります。何を意味するのかな? ひょっとして年月を表す数字でなかったりするのかな??

せっかくなので駅に車両がやってきたらよかったのですが、それは叶わず(涙)。山陰本線といえば日本海との風景がキレイです。海水浴シーズンがはじまる前に一度観に行こうかな。

参考にした書籍など