掛戸松島(島根県大田市)

掛戸の潮止め水門を訪れたページの最後に記した掛戸松島です。この場所は近代化遺産の潮止め水門よりも、景勝地である掛戸松島のほうが有名なのは間違いありません(笑)。

名勝 掛戸松島 2023年10月28日

7年かけて山を開削

ここは掛戸の潮止め水門のページで紹介したように土地の有力者(有馬氏)が排水のために海側の山を幅50mにわたって開削しました。説明板があるので記します。

大田市指定名勝 掛戸松島

平成五年三月十七日指定
久手町波根西海岸(国有地)

久手駅から徒歩で波根西海岸へ約十分位の所に要害山と梶山の切割から日本海に浮ぶ「掛戸松島」を望むことができる。
この松島は鎌倉時代、徳治元年(一,三〇六年)地元の郷土有馬次郎左衛門一政と、二代目の次郎左衛門尉宗茂が千数百人の夫役を指揮して七ヶ年余の歳月を費やして開堀した所である。
当時波根湖は増水期になると水が氾濫して住民は難渋しており、度々の災害に遂に山岳を開掘して、湖水の水を日本海へ疎水することを遂行したのである。
今は海水の浸食によって人工の跡はほとんど分からなくなっているが、奇岩、怪石が海中に散乱しており、六八七年前の難工事がしのばれる。
日本海の波間にすくっと立っている松島の絶景は、明治四十年五月二十八日大正天皇が東宮殿下の時、山陰行啓の折にしばしご高覧され、昭和六年夏には簸川郡高松村出身の日本画家竹田霞村が「掛戸松島」を描いて広く世に紹介して以来「石東の名所」とよばれている。

平成六年三月三十一日 設置
大田市教育委員会

7年かけて山を崩すって凄い… 西暦1306年なので当然重機なんかないですし、ホントに人力で成し遂げたということでしょう。

名勝 掛戸松島 2023年10月28日

上写真の両側に写っている山岩のあいだを開削したんですよねぇ(遠い目)…

名勝 掛戸松島 2023年10月28日

今さらなのですが、"松島"って、松が生えてるから松島なんですね(汗)。

名勝 掛戸松島 2023年10月28日

たしかに松が生えています。過去の写真を見ると、松の様子が違ってたりするのですが、病気や自然災害で枯れてしまったそうです。今の松は三代目なのかな?

掛戸の潮止め水門を調べているときに知った掛戸松島、実際に見てみると写真で見ていたよりも全然凄かった。景色というのは、自身の目で見ることでより素晴らしさがわかるということをあらためて感じさせてくれました。近代化遺産はある意味マニアックですので万人には勧めることはできませんが、こちらはぜひ訪れてみてくださいっ!!

おまけ:明暗差が大きいときはRAWファイルをいじる

X-S10を使うときはフィルムシミュレーションの色味そのままでリサイズ&シャープネスぐらいしか画像処理しないことが多いのですが、明暗差が大きいときはRAWファイルをLuminar(Luminar4)で現像します。このページでも最初と2枚めの写真はRAWファイルから現像したもの。

たとえば2枚めの写真、撮って出しだとこんな感じ。露出を考えて撮ればまた違ってくるのでしょうが…

名勝 掛戸松島 2023年10月28日

左側の岩肌がわからないですね(汗)。だからRAWファイルから現像しているわけですが(^^(^^;。こういう写真を見ると、やはり人間の目って凄いですね。