江の川発電所(広島県三次市)

11月24日、芸備線山ノ内駅の銀杏を訪れて香淀迦具神社に向かう途中に立ち寄ったところがあります。それは江の川発電所跡。

江の川発電所跡 2024年11月24日

発電所跡というマニアックな場所

発電所跡というと、以前に安佐北区の亀山発電所跡を訪れました。私、産業遺産や土木遺産に興味があるので訪れますが、その向きに興味がない方にとっては訪れること自体が理解されないでしょう(^^(^^;。でも、私が訪れたとき、他にも2組の方がいらっしゃっていました。私が想像しているよりもメジャーな分野なのかも… かなぁ(^^;。

江の川発電所跡 2024年11月24日

私がこの江の川発電所跡を知ったのは船佐空襲のページをつくったとき。今でも建物跡が残っていることを知り、いつか訪れてみたいなと思っていたのです。ただ、道中が狭かった記憶があって躊躇していたのですが、いつの間にか整備されて全く問題ない道になっていたのでこの日訪れることができました(嬉)。

江の川発電所跡 説明板 2024年11月24日

説明板の文章を記します。

唐香の江の川発電所跡

広島呉電力会社(現中国電力株式会社)が、江の川の豊かな水量と多くの瀬(落差)に注目して発電事業を計画し、大正6年(1917年)起工し、同8年竣工、翌9年9月から営業を始めたのが、唐香にあった「江の川発電所」である。
堰堤は鳴瀬の上手幅員約97メートルをせき、堰堤・発電所間の水路延長は約5.4キロメートル、幅約6.4メートル、深さ約3メートルと記録されている。発電所は第1次世界大戦の戦利品としてドイツより持ち帰ったもので、出力3,000キロワットでドイツ人技師が運転を指導したという。
この頃、大戦勝利の余波で景気はよく、電力需要は増加の一途をたどり、一方軍備の拡大と共に呉海軍工廠は多量の電力を必要としたので、これに応じるため能見まで水路を延長して二倍の発電量を計画し、大正14年起工昭和2年10月現在の能見発電所が営業を始めた。

作木村誌より抜粋

※説明板にある"能見発電所"は"熊見発電所"の間違い。このページを記している日現在、熊見発電所は新熊見発電所になり発電を行っています

この江の川発電所の建設は多くの困難がありました。その中でも江の川に堰堤を築造することで航行が遮断されることが大きな問題となります。江の川は広島、島根の中国山脈を流れ、江津で日本海に注ぎます。当時は鉄道や自動車など交通機関は整備されておらず、道路すら不完全な状態。そんな状態で江の川の航行を遮断することは大きな問題になるのは当然のこと。地域住民から大きな反対を受けました。

江の川発電所跡 江の川をみる 2024年11月24日

しかしその困難を乗り越えて江の川発電所は建設許可を受け、説明板にあるように大正6年(1917年)起工し、同8年竣工、翌9年9月から送電を開始します。江の川発電所の出力3,000kWは広島呉電力内ではもちろん、当時の中国地方における最大出力を持つ水力発電所でした。

江の川発電所跡 2024年11月24日

1921(大正10)年、広島呉電力と長い間対立していた広島電灯が合併し、広島電気が創立しました。説明板にある熊見発電所は広島電気となったあとに建設したものとなります。熊見発電所の出力11,000kWは当時中国地方における最大の水力発電所でした。

熊見発電所の営業開始により江の川発電所は発電を停止します。結果として稼働した期間は短いものとなってしまいましたが、この江の川発電所が広島の電力供給においてエポックメイキングとなったことは間違いありません。そんな歴史の1ページを飾った江の川発電所、より多くの方が訪れるといいなと思います。

参考にした書籍など