海上自衛隊呉地方隊のホームページで2017年の呉サマーフェスタにおいて呉鎮守府の地下壕が公開されることを知って出かけてきました。この地下壕、新聞記事やニュースで29日に初公開されると紹介されていたこともあったのでしょう、開場前から多くの人が並んでいました。
私たち夫婦もサマーフェスタがはじまる少し前から並んでいたのですが、前に並んでいたご婦人も新聞記事で地下壕の公開を知って来訪された一人。このご婦人、話をさせていただくと沖縄にある地下壕にも訪問されています(凄)。でも、サマーフェスタについては存在すらご存じなかったようなので、こういった見学者の方も少なくなかったのかもしれません。
並んで進んでやってきました地下壕へ。入口そばの説明板です。
説明を載せます。
日本海軍呉鎮守府司令部地下壕
(旧地下作戦室)
昭和17年、日本本土は米軍機による初空襲を受け、昭和19年頃からは連日のように空襲を受けるように鳴り、爆撃の被害を避けるため日本海軍の地上施設は地下に建設されるようになった。
当該施設は、呉鎮守府司令部庁舎(現呉地方総監部庁舎)裏側の崖の斜面を切り開いて建設されており、昭和17年設計、昭和18年頃に着工、昭和20年頃に完成し、「地下作戦室」と呼ばれていた。また、空襲による被害を最小限とするため、当該施設完成後は重要書類等も「地下作戦室」で保管されるようになった。
「地下作戦室」の1階には会議室・発電機室・換気施設・排水施設、2階には通信室・事務室・映写室・休憩室があり、通信室には大本営・連合艦隊司令部・呉鎮守府管下の各要所等との電信・電話線が引かれ、「地下作戦室」1階中央正面の壁一面には西日本の作戦図が掲示され、外部との開口部(窓・出入口)には封鎖可能な鉄製扉が設置されていたようである。
また、地下施設への連絡用として地下通路が整備されており、「地下作戦室」の奥に見える鉄製の扉を開けると、呉地方総監部庁舎裏側にある出入口と繋がっている。
昭和20年7月、米軍機による呉市への空襲により、呉鎮守府司令部庁舎も外壁のみを残して焼失したが、重要書類等は「地下作戦室」に保管されていたため爆撃の被害を受けず、そのため呉鎮守府司令部は終戦まで作戦その他要務を支障なく遂行できたと言われている。
文中にある "呉地方総監部庁舎裏側にある出入口" はこちらになります。
2015年1月に呉総監部を見学したときに教えていただきました。ニュースではこの扉の先にある階段も紹介されていましたが、この日は公開はされず(残念)。
文中にある "外部との開口部(窓・出入口)には封鎖可能な鉄製扉" の扉でしょうか。
上が入ってすぐの扉。下が壁面にいくつかあった扉です。かなり頑丈そうな扉です。そして壁の厚さもかなりのものです。
地下壕の中に並んで入っていきます。公開されているエリアは多くありません。順路どおりに歩いて終わりという感じ... 見学者も多いのであまり立ち止まってゆっくり見るということもできません(残念^2)。
メインの(?)地下作戦室です。14m×15mの広さがあります。昭和20年頃完成ということなので、昭和20年3月や7月の大規模な空襲時にはこの作戦室に情報が集まり、さまざまな指揮・命令が出ていたのかな... 今は何もない静かなこの空間、当時はすさまじい喧騒だったんだろうなと思うと、身震いを感じないではありません。
地下作戦室の隣の部屋。奥と手前に部屋があります。これらの部屋が何に使われていたのか詳細な説明はありませんでしたが、手前の部屋は土台のようなものがあるので、説明板に記されていた発電機室なのかなと思ったりもします。どうなんだろう?
最後は2階にあがる階段。
出口はすぐそこでした。ニュースで紹介されているときは地下作戦室の中に多くの人が入っている感じでしたが、当日入ることができたのは作戦室の入口のみといっても言いすぎではないほど(残念^3)。初公開で見学者も多く、安全を考慮した結果のことでしょうが、説明なども含めてもっとディープに楽しむことができるといいなと感じました。呉地方総監部第1庁舎の一般公開時の見学ルートに入れてくれると嬉しいのですが、やはり難しいのかな。
呉工業高等専門学校の学生と教員の方々が製作した資料が配布されていました。公開されていない場所についてはTHETAで撮った360度画像もインターネットにアップされていて嬉しい。今後も調査を続けていかれるようなので、新しいことがわかったらまた情報を公開してくれることを期待(^-^)。
このページの公開日:2017.7.30