旧帝国海軍:魚見山隧道

魚見山隧道...今は"隧道"とは言わず、"トンネル"と言いますね(汗)。でも、それっぽいのでこのページでは隧道と記します(笑)。さて、魚見山隧道ですが、呉市海岸・新宮町と吉浦を結ぶ延長860mに及ぶ長いトンネルです。私も呉に出かけるときはいつも利用しています(^-^)。

魚見山隧道

海軍の地下工場として使われました

この魚見山隧道には以前から興味を持っていました。というのは、2014年に第11海軍航空廠岩国支廠の地下工場のことを調べていたときに、終戦も近くなった昭和20年に工事が中断され、海軍の地下工場として使われたということを知ったから。国土交通省広島国道工事事務所の広報誌「くれこく」には次のようにあります。

軍都広島と軍湾呉を結ぶ32号(現在の国道31号)の魚見山隧道は昭和16年に着工、20年1月には戦局の悪化により工事は中断し、海軍の地下工場として利用され、そのまま終戦をむかえました。

地下工場といえば、上で記した第11海軍航空廠岩国支廠のほかに蛟龍をつくっていたという大麗女島の地下工場長郷地下工場を見に行ったことがあります。魚見山隧道はどんな地下工場だったのだろう?

魚見山隧道

結論から記すと、私なりに辿り着いた結論はあるのですが、はっきりしたことはわかりませんでしたm(_)m。

「くれこく」に海軍とあるのですが、使っていたのは呉海軍工廠なのか第11航空廠なのか調べたのです。2年ほど前に第11海軍航空廠岩国支廠の地下工場のことを調べていたときには、第11航空廠の引渡目録(Ref.C08011019700)の18ページ目に「吉浦隧道」とあること、吉浦駅との位置関係からこれが現魚見山隧道で第11航空廠が使っていたと思っていました。

しかし今回調べていて、別の第11航空廠の引渡目録(Ref.C08011019400)の18ページ目にトンネル位置略図というものがあり、そこには国道吉浦トンネルとあります。場所も現在の吉浦トンネル。Ref.C08011019700にあった吉浦隧道はこれのことではないかと。ちなみにこの吉浦トンネルには機体発動機関係の兵器があったようです。また、第11航空廠は新宮に工場がありました。前述のトンネル位置略図には新宮トンネルという地下工場の図があるのですが、魚見山隧道とは場所が異なります。

「では」と、呉海軍工廠のほうで調べてみると... 呉海軍工廠の引渡目録(Ref.C08010965100)に吉浦地下工場の記載があります。ただ、ほとんど真っ黒でよくわかりません(苦笑)。しかし、呉海軍工廠では吉浦に工廠の一部があったことから、この吉浦地下工場が現魚見山隧道、つまり魚見山隧道は呉海軍工廠の地下工場だったのではないかと考えます。

ホントは第11航空廠の地下工場(汗)?

上に「呉海軍工廠の地下工場だったのではないかと考えます」と記したのですが、いろいろ検索してみると「第11航空廠の地下工場」と記しているものばかり。どうしてだろうと調べてみると、呉市史(第7巻387ページ目)に次のように記されていました。

しかし二十年一月、戦局の悪化により工事は一時中断され、第一一航空廠の地下工場として利用され、そのまま終戦をむかえた

第11航空廠の地下工場としているのは、きっとこの呉市史をエビデンスとしているのですね。しかし、呉市史がこう結論付けたのかは引用なども記されていなかったので不明です。もちろん、私などよりもちゃんとした調査と情報の精査を行なったうえでの記載なので、第11航空廠が地下工場として使っていたが正しいのかな... (苦笑)

参考にした書籍など

このページの公開日:2016.10.22

  

コンテンツメモ

  • 訪問日:2016.10.16
  • 場所:広島県呉市
  • X-T10 + XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS

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