10月16日、広島城周辺の戦争遺構を訪ねました。2010年8月は広島城東側の歩兵第十一聯隊跡などをまわったのですが、今回は西側です。西側には太平洋戦争が終わるまで、"野砲兵第五聯隊"、"輜重兵第五聯隊"の兵営がありました。
陸軍第二病院跡に "第二次世界大戦時 軍用施設配置図 基町地区" があります ...これを見ると、あらためて広島は軍都だったことがうかがえます。
野砲兵、その名前が示すように「砲」を扱う兵です。広島城を挟んで歩兵第11聯隊の反対側に兵営がありました。野砲兵第五聯隊のおおまかな変遷を記します。
明治時代は日清戦争、北清事変そして日露戦争、満州の守備に、大正時代はシベリア事変、昭和時代は満州事変から支那事変、太平洋戦争... 多くの戦闘に参加し、戦果を挙げています。それだけに犠牲となった方々も少なくありません。
訪れた野砲兵第五聯隊跡の碑です。基町小学校の広島城側にあります。
碑の裏側に碑文があります。
野砲兵第五聯隊は、明治十一年四月、広島に創設された。
日清戦争から太平洋戦争に至るまで幾多の戦争に国家民族の興隆発展を記念しつつ出動し、一身を犠牲にした。
昭和二十年八月、終戦とともに数々の想い出を残し、六十九年の歴史の幕を閉じた。
ここに、聯隊跡碑を建立し、亡き戦友と戦禍に斃れた多くの人々の御霊を慰める。
昭和五十九年十二月 建立
平成六年八月 改刻
元野砲兵第五聯隊生存者一同
どうでもよいことですが、今回訪れた碑はともにポケモンGOのポケスポットになっていました(驚)。かなりマニアックなものだと思うのですが... ポケスポット、どういう基準で設定されているのだろう(^^;?
輜重兵... 一般的には読むことすら難しいのではないかと思います(私だけ?)。事実、私は読むことができませんでした(汗)。輜重兵は「しちょうへい」と読みます。兵站を担当する兵です。野砲兵第五聯隊兵営のさらに西側、太田川そばまでが輜重兵第五聯隊の兵営でした
私なりに輜重兵第五聯隊のことを調べようとしたのですが、よくわかりませんでした(+_+。ただ、多くの戦闘に参加し、戦果を挙げ... そして多くの犠牲を出しています。ネットでは個人で調べられて情報を掲載されているページを見つけることができますので、気になった方はぜひ調べてみてください。そんなわけでいきなりですが碑を(汗)。
この碑は城南通りの太田川にかかる空鞘橋そばにあります。
碑の横にある説明を記します。
碑の由来
昭和三年、馬碑は輜重兵第五聯隊の兵営西南太田川沿いに建立された。
昭和二十年八月六日朝、米軍機の原爆投下により、輜重隊は壊滅、多くの兵士が犠牲になった。
その中で、馬碑は熱風を受けながらも唯一残った。
昭和五十七年、廣輜会(原隊の戦友会)により、隊跡馬碑と表示、復元された。
自動車が発達していない昔、物の運搬は主として馬匹によりなされていた。軍馬は日本各地より徴発(強制買い上げ)され、隊で調教、乗、輓、駄馬として、兵器、弾薬、糧秣の輸送に任じた。
戦場に於いて、四肢の蹄に鉄をつけて保護され、車を輓き、また鞍上に百キロ余りの荷を背負わされ、人に寄与した動物は馬だけであった。
蹄鉄は「馬の命」、行動中落鉄した時は、兵の沓下を重ねて蹄を保護し、次の休止時に予備鉄を装着した。
戦場では晴雨昼夜の別なく行軍の為、鞍傷した馬背を兵は寝ずに水で冷やし看病し続けた。兵にとって馬は正に戦友であった。
数次の作戦参加と米軍機の銃撃により、半数は戦死、終戦時は武装解除と共に、中国側に引き渡し、悲しくも馬は復員できなかった。
初年兵時代、「馬は三百円、お前等は一銭五厘でに幟をたててやって来る!」と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ、然も、馬が先輩であり、初年兵の肩章にある星の数で見分けるのか、当初は思うように動いて貰えなかった。
尚、馬は「活兵器」として大事に扱われた。
戦後六十年を経て、戦友は八十路を越え、健在者僅少となり、茲に輜重兵第五聯隊に唯一残された歴史的象徴たる、馬碑の由来を後世に伝えるべく、戦友の浄財と靖国神社の助成に依り、付帯施設を新設した。
昭和十八年
元中支派遣
第三十九師団輜重隊
第百三十二師団輜重隊
有冨部隊戦友会
物資を輸送するために使われた動力は馬たちでした。太平洋戦争になっても自動車を使った運用ができたのはアメリカなど一部の国だけでした。もっとも、日本でも自動車がまったくなかったわけではありません。輜重兵第五聯隊(補充隊)においても、昭和十三年に兵站自動車第百五十八中隊を編成しています。
下は米軍が1945(昭和20)年7月25日に撮影した写真の一部です。このページ最初の"第二次世界大戦時 軍用施設配置図 基町地区"の写真と一緒にみるとそれぞれの兵営がわかります。そしてこの写真の約2週間後には原爆により人も建物も消失してしまいました。
野砲兵第五聯隊跡の碑の写真を撮っているとき、近くの保育園園児が保母さんに連れられて行進中でした。歩きたがらないひとりの子が保母さんを困らせていましたが、そんな光景も微笑ましい(保母さんは大変ですが(^^;)。こういった光景をずっと見ることができる日本であってほしいものです。
このページの公開日:2016.10.29