戦争遺構:弾丸列車計画の杭(広島県廿日市市)
1ヶ月ほど前のこと(汗)になってしまうのですが、今となってはとても珍しい杭を廿日市市に観に行ってきました。場所はJR廿日市駅北側にある洞雲寺というお寺の門前。駅のそばということもあって、JRで出かけたのでした。
目指す杭は上画像の青く囲んだところにあります・・・ 小さい上に青くしてしまったので、杭なのかなんなのかもわかりらない(爆)のですが、とにもかくにもコイツがこの訪問の目的でした。
弾丸列車計画の杭
さて、前置きが長くなってしまいましたが目的のこの杭は弾丸列車計画の杭です。弾丸列車計画の概要は次のような感じです。
満州国成立などに伴い朝鮮半島・中国大陸へ向かう需要が急増、さらに1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発することにより、現行の東海道本線・山陽本線の輸送力では対応できなくなることが予想されるようになりました。
そのため当時の鉄道省で輸送力強化が検討され、東海道・山陽区間に高速用の別路線を敷くことが必要という結論になり、計画がすすめられていきます。この計画は東京~下関間を9時間(当時は18時間以上かかっていたそうです)で結ぶだけでなく、将来は対馬海峡に海底トンネルを掘って大陸への直通列車の運行も考えられていました(驚)。ちなみにこの計画のことを鉄道省内部では「新幹線」とも呼んでいたそうです。このことが今の新幹線の語源(?)となりました。
弾丸列車計画の杭とは、上記の弾丸列車計画のために買収された用地に打たれた杭です。そのうちの数本がこの洞雲寺の門前に残っているわけです。杭横にある「この杭の由来」は自治会の方による説明文です。載せてみましょう。
この杭の由来(まぼろしの弾丸鉄道)
日本国有鉄道(JRの前身)は、昭和14年に東京~下関間を9時間で結ぶ「弾丸列車」の計画をたて、将来は対馬海峡にトンネルを掘って、朝鮮半島経由北京行きの直通列車を走らせるという遠大な構想を立てていました。
この遠大な計画も太平洋戦争の戦局の悪化にともない昭和18年末に中止となり、買収用地は一転して食糧増産のため払い下げられ、杭の姿も消えてしまいました。
この杭は、奇しくも当時の杭が洞雲寺の前に数本残っている中の1本で、大変めずらしいものです。
この地区は、現在廿日市駅北土地区画整理事業として再開発されています。やがて田んぼも宅地に変わり、弾丸列車の計画のことも忘れられることでしょう。
2008年9月
佐方アイラブ自治会
ちょっと離れた所に打たれていた杭です。数本残っているということなので、この杭もその1本なのかもしれません。昭和14年に計画がたてられ、戦局の悪化により中止… そんな計画の名残となる小さな杭が残っているというのは、とても不思議な感じがします。そんな歴史のある杭ですが、自治会の方による説明にあるようにやがて忘れられていくのでしょう。この杭を見ながら、計画通りにここに新幹線が走っていたらどうなっていたんだろうなって感じたりしてしまいました。
・・・これは戦争遺構ではなくて、鉄道遺構のほうがあっているような気がしないでもありませんが、軍事色が強い鉄道計画だったのであえて戦争遺構としてみました。ま、どうでもいいことですね(汗)。
せっかくなのでGoogle Mapで場所を記しておきましょう。場所は下記になります。私が行った時もまわりでは工事が行なわれていました。いつまで残っているのかはわかりませんが、興味のある方は出かけてみられてはどうでしょうか。
より大きな地図で 弾丸列車計画の杭 を表示
このページの公開日:2009.06.16