安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国陸軍:大久野島の毒ガス工場跡

大久野島へ出かけました。今でこそ国民休暇村となっていますが、戦時中は帝国陸軍の「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所」として毒ガス兵器の生産が行なわれていた大久野島。そんな特殊な島だったため、一時は地図からも消されていました。戦争が終わり毒ガス工場は破壊されましたが、その跡を見ることができます。

船からみた大久野島

大久野島は忠海から船に乗ってわたります。島内は車両通行禁止となっていますが、忠海港にある無料駐車場にとめることができますので、忠海港までは車で出かけることも可能です。上の画像は、フェリーから撮った大久野島の全景。大きな鉄塔がやたらと目立ちますね。

また、大久野島には日露戦争開戦時は芸予要塞として砲台が築かれました。広島湾要塞同様、使われることはありませんでしたが、その砲台跡は今でもみることができます。

大久野島に残る戦争遺構:毒ガス工場跡

大久野島 毒ガス資料館

大久野島毒ガス資料館

こちらは大久野島にある毒ガス資料館です。言うまでもありませんが、この資料館は工場跡ではありません。館内は撮影禁止だったため、外観のみ・・・ 資料館では工場の歴史、さまざまなドキュメントや写真による資料はもちろんのこと、当時使われた防毒マスクや砲弾などが展示されていました。

展示されていた当時の工場配置図を見ると、毒ガス製造に関わるいろいろな工場・建物が島全体に建てられていたのがわかります。また、工場で働いていた者の多くは、毒ガスなんかをつくっていることなんかを知らされずに島で働くことになったようです。

研究室跡と検査工室跡

大久野島毒ガス工場 研究室跡
大久野島毒ガス工場 検査工室跡

研究室跡(上)と検査工室跡(下)です。検査工室では毒ガス製品の管理や機密書類の保管、毒ガスの検査が行なわれていたそうです。また、これらの建物は、休暇村が整備された頃はネイチャーセンターや宿泊施設として利用されていたとのことです。

毒ガス貯蔵庫跡

大久野島毒ガス工場 毒ガス貯蔵庫跡1

毒ガス貯蔵庫跡のひとつです。この貯蔵庫跡は国民宿舎のすぐ隣にあります。手前の穴に台座があるのがわかるかと思いますが、この台座の上にタンクがおかれ、液状の毒ガスが入れられていました。

大久野島毒ガス工場 毒ガス貯蔵庫跡2

こちらも毒ガス貯蔵庫のひとつですが、島内でもっとも大きな貯蔵庫です。長浦貯蔵庫といいます。国民宿舎からテニスコートへ歩いた先にあります。この貯蔵庫には左右に3つずつ、大きなタンクが置かれていました。壁面が黒くなっていますが、これは終戦後に毒ガスの処理のために連合軍(オーストラリア軍)兵士が火炎放射器で処分した跡です。このような跡が今も残っているという事実だけでも、その恐ろしさを示しているといえるのではないでしょうか。

ちなみに大久野島での毒ガス年間生産量は1200トンにもなったと言われています。そのうちのどれだけが実際に使われたのか私はわかりませんが、もし米軍相手に大量の毒ガス兵器を使っていたならば、終戦後の日本は今とは変わっていたことでしょう。

発電所跡

大久野島毒ガス工場 発電所跡1

こちらは発電所跡です。忠海からやってくるときに桟橋の右側に見ることができます。この発電所跡に限ったことではありませんが、昔は中に入ることができたようです。今は立ち入り禁止の看板があり、入ることが許されていません。

この発電所、もともとは右側の2階建て(?)の建物だけだったそうです。その後の電力需要の増加に伴い左側の3階建て(?)の建物が増築されました。増築部分がはるかに大きい・・・ 毒ガス製造が本格化するに伴い、どれだけ電力需要が高まったかが想像できます。

大久野島毒ガス工場 発電所跡2

この画像でわかるように、中は何もありません。もともとそういう建物なのでしょうが、柱すらもありません。窓枠はしっかりと残っていますが、かえってそのことがこの発電所跡を「廃墟」と表現することが最も適切な感じにさせてくれます。

大久野島で製造された毒ガスによる被害は、製造中の事故などによるもの、実際に中国戦線で使われた兵器による直接的なものに加えて、戦後の処理作業でも発生しています。戦後の処理作業は海洋投棄、焼却、島に埋めたりといったもの・・・ その作業が原因と思われる障害で苦しんでいる方もいらっしゃいますし、今後さらに時間が経ったあとに環境問題として出てこないか気になるところです。

日露戦争開戦時には芸予要塞として、世界大戦時は毒ガス工場として・・・ その後、大久野島は第二次世界大戦後の朝鮮戦争時は米軍の弾薬庫として使われました。大久野島が戦争から離れ、国民休暇村として再出発したのは昭和38年のことでした。

おまけ:展望台から瀬戸内海を臨む、など

大久野島展望台からの眺め

大久野島のほぼ中央になるでしょうか、展望台があります。途中、何度かくじけそうになりましたが(苦笑)、無事辿り着いた展望台からの眺めはとてもよいものでした(^-^)。

海上から呉線を走る瀬戸内マリンビューをみる

こちらは帰りの船から見えた呉線を走る瀬戸内マリンビューです。小さくてよくわからないと思いますが(爆)、偶然というのは驚き。それにしても、忠海あたりの呉線は、こんな海沿いを走っているのですね。

大久野島に行こうと思わせた書籍

私が大久野島に行こうと思うきっかけとなった書籍です。

このページの公開日:2008.10.14

コンテンツメモ

  • 訪問日:2008.07.06
  • 場所:広島県竹原市大久野島
  • 行程:国道2号 - 国道432号 - 国道185号 - 大久野島旅客船(忠海~大久野島)
  • EOS 40D + EF-S10-22 F3.5-4.5 USM

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